かぐや姫の物語の月の王って何?

かぐや姫の物語の月の王って何?

スタジオジブリの「かぐや姫の物語」を観て、月から迎えに来た神々しい存在に圧倒された方も多いのではないでしょうか。

あの無言のまま圧倒的な力でかぐや姫を連れ去った存在が「月の王」です。

高畑勲監督が独自の解釈で描いたこのキャラクターは、原作「竹取物語」には登場しない映画オリジナルの存在でありながら、作品のテーマを象徴する重要な役割を担っています。

この記事では、月の王の正体や役割、原作との違い、そして高畑監督がこのキャラクターに込めた思いについて詳しく解説していきますね。

月の王の正体と役割

月の王の正体と役割

月の王とは、かぐや姫の故郷である月の世界を統治する王であり、阿弥陀如来に酷似した姿で描かれる無言の存在です。

映画の絵コンテで「月の王」と正式に名付けられたこのキャラクターは、物語のクライマックスで天人の集団を率いて地上へ降り立ちます。

翁や媼、そして帝までもが必死にかぐや姫を守ろうとしますが、月の王は不可思議な力で全ての抵抗を退け、姫に月の羽衣を着せて月へと連れ帰るのです。

この月の王は、ただかぐや姫を迎えに来るだけではなく、月の世界の価値観そのものを体現する存在として描かれています。

なぜ月の王は重要なキャラクターなのか

なぜ月の王は重要なキャラクターなのか

月の世界の支配者としての役割

月の王が重要なのは、彼が統治する月の世界が物語の核心的テーマと深く関わっているからです。

月の世界は争いも貧富の差もない完璧な理想郷として描かれています。

しかし、その代償として感情や欲望が禁じられ、徹底した思想管理が行われているという側面があります。

月の王はこの完璧だが無機質な世界の頂点に立つ存在なのです。

かぐや姫の過去と月の王の関係

映画では原作にない設定として、かぐや姫が月から地球へ来た理由が明かされます。

姫は月の世界で、地球の豊かな「生」に憧れを抱いていました。

喜怒哀楽があり、生老病死があり、不完全だからこそ美しい地球の生命に心惹かれたのです。

しかし、月の世界では地球への憧れは「穢れ」への憧れとして罪とされました

月の王は、この罪を犯したかぐや姫を罰として地球へ追放することを許可した存在なのです。

ただし、その条件は「記憶を消すこと」でした。

帰還の引き金と月の王の介入

かぐや姫が地球で様々な経験を重ね、都に連れてこられた後、帝からの強引な求愛を受けます。

この時、姫は思わず月へ帰りたいと願ってしまうのです。

この願いが月の世界に届き、月の王は天人たちを率いて姫を迎えに来ることになります。

月の王にとって、かぐや姫の帰還願望は月の世界の正しさを証明する機会でもあったのかもしれません。

無言であることの意味

月の王が一言も言葉を発しないことには、深い意味があります。

言葉は感情を伝え、対話を生み、時に争いの種にもなります。

月の王の沈黙は、月の世界が感情や欲望を超越した存在であることを象徴しているのです。

また、対話を拒否することで、翁や媼、帝との間に一切の交渉の余地を残さないという演出効果もあります。

この圧倒的な存在感と無言の組み合わせが、観る者に強烈な印象を残すのですね。

阿弥陀如来に似た姿の意図

月の王の姿が阿弥陀如来に酷似していることも、高畑監督の意図的な演出です。

仏教において阿弥陀如来は極楽浄土へ導く存在とされています。

月の世界を「極楽」に見立てることで、月の王は「救済者」の外見を持っているのです。

しかし、映画を観た多くの人が感じるのは、救済ではなく「奪われる」という感覚ではないでしょうか。

この矛盾こそが、高畑監督が投げかける「完璧な世界とは本当に幸せなのか」という問いなのです。

原作「竹取物語」との違い

原作には月の王という概念がない

原作「竹取物語」には、「月の王」という名前やキャラクターは登場しません。

月から迎えに来るのは「天人」の集団であり、特定の王が率いているという描写はないのです。

原作では、かぐや姫は元々月の住人であり、地上での暮らしは一時的なものとして描かれています。

迎えに来る理由も罪の償いの期間が終わったからという程度で、月の世界が管理社会であるという設定はありません

地球への憧れという動機の追加

映画「かぐや姫の物語」では、姫が地球へ来た理由が明確に語られます。

プロローグで描かれるように、月の世界で地球の豊かな「生」に憧れを抱いたことが全ての始まりです。

この設定は高畑監督のオリジナルであり、原作にはない要素です。

原作では単に「罪を犯したから地上へ」という説明だけで、何の罪を犯したのかは明確にされていません

高畑監督は「地球への憧れ=穢れへの憧れ=罪」という論理を構築することで、月の世界の価値観を明確にしたのです。

帝の役割の変化

原作「竹取物語」では、帝は重要な登場人物の一人です。

かぐや姫との交流が描かれ、姫が月へ帰る際には不死の薬と手紙を残します。

しかし、映画では帝の描写が大きく変更されています。

映画の帝は強引で権力的な存在として描かれ、その求愛がかぐや姫の月への帰還願望を引き起こす直接的な原因になっているのです。

この変更により、地上の世界の不完全さと同時に、かぐや姫が帰りたくなるほどの辛さも描かれています。

月の羽衣の意味の深化

原作でも月の羽衣は登場し、それを着ると地上での記憶と感情が消えるとされています。

映画ではこの設定をさらに発展させ、月の王が直接かぐや姫に羽衣を着せる場面を印象的に描いています。

羽衣を着せられる瞬間、姫の表情から生命力が失われていく様子は、多くの観客の心に深く刻まれました。

この描写により、記憶と感情を奪われることの恐ろしさがより強調されているのです。

「かぐや姫の物語」における月の王の描写

視覚的な演出の特徴

月の王が登場する場面は、映画の中でも特に印象的な視覚表現がなされています。

月から降りてくる天人たちは、雲に乗って優雅に舞い降りてきます。

その中心にいる月の王は、金色に輝く後光を背負い、まさに神仏のような威厳を放っています。

しかし、その神々しさとは裏腹に、かぐや姫を強制的に連れ去る行為は救済というより拉致に近い印象を与えます。

この視覚と物語のギャップが、観る者に強い不安感を与えるのです。

翁と媼の抵抗を退ける場面

月の王が地上に降り立つと、翁と媼は必死にかぐや姫を守ろうとします。

翁は武士たちを集めて屋敷を囲み、物理的な防御を試みます。

しかし、月の王と天人たちの前では、全ての武力が無意味になります。

武士たちは眠らされ、翁と媼も動けなくなり、地上の力では月の世界の存在に太刀打ちできないことが示されます。

この場面は、月の王の圧倒的な力と、同時に地上の人々の愛情の深さの両方を描いています。

かぐや姫との最後の対面

月の王は無言のままかぐや姫の前に現れます。

姫は最初、月へ帰りたくないと抵抗しますが、月の羽衣を着せられる瞬間から変化していきます。

記憶と感情が徐々に失われ、地上での喜怒哀楽が消えていく様子が繊細に描かれています。

月の王は終始無表情で無言ですが、その無表情さがかえって冷酷さを強調しているのです。

慈悲深い仏の姿をしながら、実際には個人の意志や感情を無視する存在として描かれています。

音楽による演出効果

久石譲が手がけた音楽も、月の王の登場場面を印象的にしています。

天人たちが降りてくる場面では、天上の音楽とも言える神秘的な旋律が流れます。

この音楽は美しくもあり、同時にどこか冷たく感情のない響きを持っています。

音楽もまた、月の世界の完璧だが無機質な性質を表現する重要な要素となっているのです。

高畑勲監督が月の王に込めた思い

完璧な管理社会への警鐘

高畑監督は、月の世界を通じて現代社会への問いを投げかけています。

争いもなく、貧困もなく、全てが管理された完璧な世界は一見理想的に見えます。

しかし、その代償として個人の感情や欲望、自由が失われるとしたらどうでしょうか。

月の王は、そのような管理社会の象徴として描かれているのです。

監督は、完璧さを求めすぎることの危険性を示唆しているのかもしれません。

不完全な地上の価値

映画は、地上の世界の不完全さを肯定的に描いています。

かぐや姫が山里で過ごした時間は、貧しくても喜びに満ちていました。

虫を追いかけ、友達と笑い、四季の移ろいを感じる生活には、完璧ではないからこその美しさがありました。

月の王が象徴する完璧な世界と対比させることで、監督は地上の不完全な生の価値を強調しているのです。

記憶と感情の重要性

月の羽衣によって記憶と感情が奪われる描写は、それらがいかに大切かを示しています。

辛い記憶も含めて、全ての経験が人を形作ります。

喜びも悲しみも、怒りも愛情も、全てが生きている証なのです。

月の王が代表する価値観は、これらの感情を「穢れ」として否定するものです。

高畑監督は、感情を持つことこそが人間らしさであり、それを失うことは生きていないのと同じだと伝えているのかもしれません。

宗教的イメージの転用

月の王を阿弥陀如来に似せた姿で描いたことには、深い意図があります。

仏教の救済思想では、極楽浄土へ導かれることは最高の幸福とされています。

しかし、映画では月の世界を極楽に見立てながら、それが本当に幸せなのかと問いかけています。

救済の名の下に個人の意志が無視されることへの疑問を、宗教的イメージを借りて表現しているのです。

これは特定の宗教を批判しているのではなく、盲目的な理想郷信仰への警鐘と言えるでしょう。

SNSや評論での月の王への反応

「怖い」という感想が多数

映画を観た多くの人がSNSで「月の王が怖い」という感想を述べています。

神々しい姿をしているのに、その行動は冷酷で機械的です。

翁や媼の必死の抵抗も、かぐや姫の涙も、全てを無視して淡々と連れ去る様子は、人間味のない恐ろしさを感じさせるのです。

ファンの間では「見た目は仏様なのに行動は悪魔的」「笑顔がないのが不気味」といった声も見られます。

「救済ではなく拉致」という解釈

専門家や評論家の分析では、月の王の行為を「救済ではなく拉致」と捉える意見が多く見られます。

かぐや姫は最後まで地上に残りたいという意志を示しているにもかかわらず、強制的に連れ去られます。

本人の意志を無視した行為は、たとえ「より良い場所」へ連れて行くためでも、救済とは言えないのではないかという指摘です。

この解釈は、個人の自由意志の尊重という現代的な価値観から見た分析と言えますね。

月の世界への批判的な視点

SNSでは月の世界の管理社会的な側面に注目した投稿も多く見られます。

「感情がない世界なんて生きている意味がない」「完璧すぎて怖い」といった意見が寄せられています。

また、現代社会の過度な管理体制や、個性を抑圧する風潮と重ね合わせて考察する声もあります。

月の王が象徴する価値観は、多くの人にとって共感できないディストピア的な世界として受け止められているのです。

かぐや姫への同情と共感

月の王の登場場面では、多くの観客がかぐや姫に深く同情します。

やっと見つけた生きる意味や喜びを、一方的に奪われる姿は胸を締め付けられます。

「かぐや姫が可哀想すぎて泣いた」「翁と媼と別れる場面が辛すぎる」という感想がSNSには溢れています。

月の王という存在がいるからこそ、かぐや姫の悲劇性がより強調されるという演出効果もあるのです。

再鑑賞で気づく細かな演出

映画を何度も観た人の間では、月の王の細かな演出に気づいたという声もあります。

例えば、月の王が一度も瞬きをしない、表情が全く変わらない、といった人間離れした描写です。

また、天人たちが地上に触れずに浮いている様子も、地上の穢れに触れまいとする月の世界の価値観を表しているという分析もあります。

2026年1月9日の日本テレビでの放送後にも、新たな発見や考察がSNSで共有されることが予想されますね。

映画の背景と制作について

高畑勲監督最後の長編作品

「かぐや姫の物語」は、2013年に公開された高畑勲監督の長編アニメーション作品です。

結果的にこれが監督の最後の長編作品となりました。

原案・監督を務めた高畑監督は、日本最古の物語「竹取物語」を現代的な視点で再解釈しています。

脚本は坂口理子が担当し、音楽は久石譲が手がけました。

興行収入は約25億円を記録し、日本アカデミー賞で複数の賞を受賞するなど高い評価を得ています。

独特の作画スタイル

この映画の大きな特徴の一つが、水彩画のような独特の作画スタイルです。

線画の筆致が残るタッチは、まるで絵巻物が動いているような印象を与えます。

月の王の登場場面でも、この作画スタイルが効果的に使われています。

特に感情が高ぶる場面では、線が荒々しくなり、キャラクターの内面が視覚的に表現されるのです。

制作期間と丁寧な作り込み

「かぐや姫の物語」は、企画から完成まで約8年という長い制作期間を要しました。

高畑監督の完璧主義的な姿勢により、一つ一つの場面が丁寧に作り込まれています。

月の王の登場場面も、何度も描き直しが行われ、最も効果的な表現が追求されました。

この丁寧な作り込みが、観る者の心に深く残る作品を生み出したのです。

2026年のテレビ放送で再注目

2026年1月9日(金)に、日本テレビ「金曜ロードシネマクラブ」でこの作品が放送されます。

公開から13年が経過しても、作品の価値は色褪せていません。

むしろ、現代社会の状況を考えると、月の王が象徴する管理社会への警鐘はより切実に感じられるかもしれません。

劇場での再上映も行われており、新しい世代の観客にも作品のメッセージが届き続けているのです。

まとめ

「かぐや姫の物語」における月の王は、阿弥陀如来に似た姿で描かれる月の世界の支配者です。

高畑勲監督が独自に創造したこのキャラクターは、原作「竹取物語」には登場しないオリジナルの存在ですね。

月の王は無言のまま天人を率いて地上に降り立ち、かぐや姫に月の羽衣を着せて月へ連れ帰ります。

その行為は救済というより強制的な連行であり、多くの観客に強い印象を残しました。

月の王が統治する月の世界は、争いも貧困もない完璧な理想郷ですが、その代償として感情や欲望が禁じられています。

高畑監督は月の王を通じて、完璧な管理社会への警鐘、不完全な地上の生の価値、記憶と感情の重要性を描いています。

かぐや姫が地球の「生」に憧れたことを罪とする月の世界の価値観は、人間らしさとは何かという根源的な問いを投げかけているのです。

月の王の圧倒的な存在感と無言の冷酷さは、観る者に深い印象を残し、作品のテーマをより鮮明にする役割を果たしています。

あなたにできること

この記事を読んで、月の王という存在についての理解が深まったのではないでしょうか。

もしまだ映画を観ていないなら、ぜひ一度鑑賞してみることをおすすめします。

2026年1月9日の日本テレビでの放送も良い機会ですね。

すでに観たことがある方も、月の王の意味を知った上で再鑑賞すると、また違った発見があるかもしれません。

月の羽衣を着せられる場面、翁と媼が抵抗する場面、そして最後にかぐや姫が月へ帰っていく場面を、月の王が象徴する価値観を意識しながら観るとより深く味わえるでしょう。

あなたは完璧だが感情のない世界と、不完全だが喜怒哀楽のある世界、どちらを選びますか?

この作品は、そんな問いをあなたに投げかけてくれるはずです。

ぜひ、あなた自身の目で月の王を見て、その意味を感じ取ってみてくださいね。

キーワード: かぐや姫の物語,月の王