かぐや姫の物語の迎えのシーンって何?

かぐや姫の物語の迎えのシーンって何?

『かぐや姫の物語』のクライマックスである迎えのシーンは、映画を観た多くの人の心に深く刻まれる場面ですよね。

月の使者たちが雲に乗って現れ、かぐや姫を迎えに来るあのシーンには、高畑勲監督の独自の解釈と仏教美術からの影響が色濃く反映されています。

美しくも悲しく、そして何とも言えない不思議な感覚を覚えるこのシーンには、実は原作『竹取物語』にはない要素がたくさん盛り込まれているんです。

この記事では、迎えのシーンの具体的な内容や、高畑監督が何を表現しようとしたのか、使われている音楽の意味、そして多くの人が「怖い」と感じる理由まで、詳しくご紹介していきます。

かぐや姫の物語の迎えのシーンとは

かぐや姫の物語の迎えのシーンとは

かぐや姫の物語の迎えのシーンとは、月の使者たちが雲に乗ってかぐや姫を地上から連れ帰るクライマックスシーンです。

このシーンでは、満月が明るく輝く夜に、天人(月の使者)の一行が白雲に乗って現れ、楽器を演奏しながらかぐや姫を迎えに来ます。

翁や媼との別れを悲しむかぐや姫ですが、天の羽衣を着せられることで地上の記憶と感情を失い、無表情のまま月へと帰還していくのです。

高畑勲監督は、このシーンを阿弥陀来迎図という仏教美術をモチーフに描いており、原作『竹取物語』にはない独自の解釈を加えています。

迎えのシーンが特別な理由

迎えのシーンが特別な理由

阿弥陀来迎図をモチーフにした演出

高畑勲監督が迎えのシーンで最も重視したのが、阿弥陀来迎図という仏教絵画の世界観でした。

阿弥陀来迎図とは、阿弥陀如来と25人の菩薩が白雲に乗って、亡くなった人を極楽浄土に迎えに来る様子を描いた仏教画のことです。

平安時代の貴族たちは、この来迎図のように仏様が自分を迎えに来てくれることを願い、浄土信仰を深めていました。

高畑監督は、月を極楽浄土、地上を穢土(けがれた世界)と位置づけ、かぐや姫の帰還を阿弥陀如来の迎えに重ねて表現したのです。

これは監督自身が直接コメントで語っており、原作とは異なる独自の解釈として知られています。

月の使者たちの不思議な表情

迎えに来る月の使者たちは、まるで仏のような無表情で感情を一切見せません。

笑うわけでもなく、怒るわけでもなく、ただ淡々とかぐや姫を迎えに来る姿は、人間的な温かみがなく、どこか冷たく感じられます。

この感情のない様子が、多くの観客に「美しいけれど怖い」という印象を与えているんですね。

高畑監督は、月の世界を「悩みや感情のない世界」として描き、それが地上の人間たちとの対比を際立たせています。

天の羽衣が持つ意味

迎えのシーンで重要な役割を果たすのが、天の羽衣です。

原作『竹取物語』でも登場する天の羽衣ですが、映画では「地上の記憶と感情を奪うもの」として強調されています。

羽衣を着せられたかぐや姫は、それまでの悲しみや翁・媼への愛情を失い、無表情になって月へと帰っていきます。

この羽衣は、まるで天使の輪のように人間性を奪う象徴として描かれており、かぐや姫が地球を振り返りながら涙を流す最後のシーンは、多くの人の心を揺さぶります。

久石譲が作曲した音楽の役割

迎えのシーンを語る上で欠かせないのが、久石譲作曲の「高貴なお方の狂騒曲(ラプソディ)」です。

この曲は、阿弥陀来迎図に描かれている菩薩たちが演奏する楽器をイメージして作られました。

美しいメロディでありながら、どこか悩みや感情のない淡々とした響きが特徴で、「怖い」と感じる視聴者も少なくありません。

来迎図の楽器演奏を再現することで、月の使者たちの非人間的な雰囲気を音楽でも表現しているんですね。

地上の人々との対比

迎えのシーンでは、かぐや姫を帰さないために翁が兵士たちを集めて抵抗しようとします。

しかし、月の使者たちの前では人間の武力はまったく無力で、兵士たちは戦う気力すら失ってしまいます。

この人間たちの必死な抵抗と月の使者たちの圧倒的な存在感の対比が、シーン全体の切迫感と悲しみを高めています。

地上での愛や執着が、月の世界では何の意味も持たないという残酷な現実が描かれているのです。

視聴者が感じる「怖さ」の正体

感情のない美しさが生む違和感

迎えのシーンが「怖い」と感じられる最大の理由は、感情のない美しさにあります。

月の使者たちは美しく荘厳な姿で現れますが、人間的な温かみや共感を一切見せません。

美しいはずのものが冷たく感じられるという違和感が、観客に不安や恐怖を与えるのです。

特に小さな子どもが泣いてしまうケースが報告されているのも、この「人間らしさの欠如」が本能的に怖いと感じられるからでしょう。

抵抗できない絶対的な力

人間がどんなに抵抗しても、月の使者たちには何も通用しません。

この抵抗できない絶対的な力の前での無力感も、恐怖を感じる要因の一つです。

かぐや姫本人ですら、羽衣を着せられることで自分の意志を失ってしまうという描写は、運命に抗えない悲しさと怖さを同時に表現しています。

記憶を失うことへの恐怖

地上での思い出や愛する人への感情が、羽衣を着ることで消えてしまう設定は、多くの人にとって恐怖そのものですよね。

自分が自分でなくなってしまうという恐怖が、このシーンには込められています。

かぐや姫が最後に見せる涙は、記憶を失う直前の人間としての感情の名残であり、それがより一層悲しさを増しています。

SNSや視聴者の反応

美しくも切ないという声

SNSでは、迎えのシーンについて「美しくて涙が止まらなかった」という感動の声が多数見られます。

特に、かぐや姫が地球を振り返るシーンは、多くのファンの心に深く刻まれているようです。

「何度見ても泣いてしまう」「映画史に残る名シーン」といった高評価のコメントも目立ちます。

怖いと感じる人も多数

一方で、「迎えのシーンが怖すぎて夢に出てきた」「月の使者の表情がトラウマ」という意見も少なくありません。

ファンの間では、この「美しいけれど怖い」という独特の雰囲気こそが、高畑監督の狙いだったのではないかという考察もされています。

子どもと一緒に観た親からは、「子どもが泣いてしまって最後まで観られなかった」という声もあり、このシーンの持つ力強さがうかがえます。

来迎図との比較を楽しむファンも

高畑監督のインタビューを知ったファンの中には、実際の阿弥陀来迎図と映画のシーンを比較して楽しんでいる人もいます。

「来迎図を知ってから見るとより深く理解できた」「仏教美術への興味が湧いた」といった、作品をきっかけに文化的な学びを得たという声もあります。

このように、迎えのシーンは単なるアニメーションの一場面ではなく、日本の伝統文化や宗教観を現代に伝える役割も果たしているんですね。

原作『竹取物語』との違い

原作にはない来迎図の要素

原作『竹取物語』では、月の使者が迎えに来る場面はありますが、阿弥陀来迎図のような荘厳な演出はありません。

高畑監督は、平安時代の文化背景にあった浄土信仰を意識して、来迎図の要素を大胆に取り入れたのです。

これは監督独自の解釈であり、原作を読んだことがある人でも新鮮な驚きを感じられる演出となっています。

かぐや姫の感情表現の違い

原作では、かぐや姫は月に帰ることを受け入れ、翁・媼に手紙を残して別れます。

しかし映画では、かぐや姫が最後まで地上に残りたいという強い感情を持ち続け、羽衣によって強制的にその感情を奪われる描写になっています。

この違いが、映画版をより悲劇的で感動的なものにしているんですね。

月の世界の描き方

原作では月は単に「かぐや姫の故郷」として描かれますが、映画では極楽浄土のような理想郷でありながら、感情のない冷たい世界として表現されています。

高畑監督は、完璧すぎる世界の息苦しさや、人間らしさの尊さを対比させることで、現代にも通じるメッセージを込めたのです。

高畑勲監督の意図と深いメッセージ

地上の生の尊さ

高畑監督がこのシーンで最も伝えたかったのは、地上での生の尊さだと言われています。

月の世界は完璧で苦しみがないかもしれませんが、喜びも悲しみもない世界です。

対して地上は、苦しみや悲しみがある一方で、愛や喜びといった豊かな感情も存在します。

かぐや姫が最後に見せる涙は、不完全だけれど美しい人間の世界への愛を象徴しているのです。

執着からの解放という視点

仏教的な視点では、月への帰還は「執着からの解放」とも解釈できます。

地上での愛や欲望は人を苦しめるものでもあり、それらから解放されることが悟りとも言えるのです。

しかし、高畑監督はその「解放」を必ずしも喜ばしいものとしては描いていません。

人間性を失うことの悲しさも同時に表現することで、観客に深い問いを投げかけています。

現代人へのメッセージ

この迎えのシーンは、現代を生きる私たちへのメッセージでもあります。

完璧さや効率を求めすぎる現代社会は、月の世界のように感情を失いつつあるのかもしれません。

不完全でも、苦しみがあっても、人間らしく生きることの大切さを、高畑監督は私たちに問いかけているのです。

まとめ

かぐや姫の物語の迎えのシーンは、月の使者たちが雲に乗ってかぐや姫を迎えに来るクライマックスシーンであり、高畑勲監督が阿弥陀来迎図をモチーフに独自の解釈を加えた名場面です。

このシーンの特徴は以下の通りです。

  • 阿弥陀来迎図という仏教美術をモチーフにした荘厳な演出
  • 感情のない月の使者たちの不思議な表情
  • 地上の記憶と感情を奪う天の羽衣の象徴的な役割
  • 久石譲作曲の「高貴なお方の狂騒曲」による独特の音楽表現
  • 人間の抵抗と月の使者の対比による切迫感

美しくも悲しく、そして少し怖いと感じられるこのシーンには、地上での生の尊さや人間らしさの大切さという深いメッセージが込められています。

原作『竹取物語』にはない要素を加えることで、高畑監督は平安時代の文化と現代人の心を繋ぐ普遍的な物語を創り上げたのです。

もう一度、迎えのシーンを観てみませんか

この記事を読んで、迎えのシーンに込められた意味や監督の意図を知った今、もう一度『かぐや姫の物語』を観てみてはいかがでしょうか。

最初に観たときとはまた違った感動や発見があるはずです。

阿弥陀来迎図や平安時代の浄土信仰について調べてから観ると、さらに深く作品を味わえますよ。

美しくて切なくて、少し怖くて、でも忘れられない――そんな迎えのシーンの魅力を、ぜひもう一度体験してみてくださいね。

キーワード: かぐや姫の物語,迎えのシーン