トトロの病院の名前は七国山病院?モデルはどこ?

トトロの病院の名前は七国山病院?モデルはどこ?

ジブリ映画『となりのトトロ』を観たとき、お母さんが入院している病院が気になりませんでしたか?

あの緑豊かな丘の上に建つ白い建物、「七国山病院」という名前を聞いて、実在する病院なのか、それともモデルがあるのか知りたくなりますよね。

実は、七国山病院には実在のモデルがあり、その歴史には戦後日本の結核治療という重要なテーマが隠されています。

この記事では、七国山病院の名前の由来から、モデルとなった実在の病院、そして宮崎駿監督がなぜこの病院を舞台に選んだのかまで、詳しくご紹介します。

七国山病院は東京都東村山市の新山手病院がモデル

七国山病院は東京都東村山市の新山手病院がモデル

『となりのトトロ』に登場する七国山病院のモデルは、東京都東村山市にある新山手病院(旧称:保生園)です。

この病院は八国山緑地に隣接し、映画の舞台となった1950年代には結核療養所として多くの患者を受け入れていました。

宮崎駿監督が八国山周辺を取材した際、この病院の緑豊かな環境と歴史的背景が、物語に深みを与える重要な要素となったのです。

新山手病院の公式サイトでも「トトロのモデル」として紹介されており、現在も地域医療を担う病院として営業を続けています。

なぜ七国山病院がモデルに選ばれたのか

八国山が七国山に変えられた理由

実在する八国山が、映画では「七国山」という名前に変更されています。

これは宮崎駿監督が、物語の舞台を特定の場所に限定せず、より普遍的な「日本の田舎」として描きたかったからだと言われています。

「八」を「七」に変えることで、実在の地名から少し距離を置きながらも、その場所の雰囲気やイメージは残すという絶妙なバランスを保っているのです。

結核療養所という時代背景

1950年代、結核は「国民病」と呼ばれるほど深刻な病気でした。

昭和20年代の死亡率は42%にも達し、年間死亡者数は10万人を超えていたという統計があります。

当時の結核療養には、清浄な空気と安静が必要とされ、森に囲まれた高台に療養所が建てられることが多かったのです。

保生園(現・新山手病院)もまさにそうした環境にあり、八国山の緑豊かな自然が患者の療養に最適だと考えられていました。

宮崎駿監督の母親の経験

宮崎駿監督の母親も結核を患い、約10年間寝たきりの生活を送った経験があります。

しかし、1950年代にストレプトマイシンなどの治療法が進展したことで回復することができました。

この個人的な体験が、『となりのトトロ』における母親の入院という設定に深く影響を与えていることは間違いありません。

映画の中でサツキとメイが母親の回復を願う姿には、監督自身の幼少期の記憶や感情が投影されているのですね。

保生園の歴史と規模

保生園は1939年(昭和14年)9月に開園した結核療養所です。

当初は214床でスタートしましたが、1956年には企業委託病棟が増設され、490床規模の「東洋一のサナトリウム」と呼ばれるほどの大規模施設になりました。

この病院は皇后の令旨を受け、秩父宮妃を総裁とした結核予防会が設立したもので、国を挙げての結核対策の一環だったのです。

その後、1971年に保生園病院へ改称され、療養所から病院へと転換し、1989年には現在の新山手病院へと名称を変更しました。

七国山病院に関する具体例やファンの声

退院者の会「保生会」の存在

保生園には、退院者たちの交流の場として「保生会」という会が存在していました。

この会は75回もの総会を開催し、2020年代初頭に最終総会を迎えました。

出席者は70代から80代が中心で、50年代から60年代に入院した経験を持つ方々です。

保生会は結核のスティグマ(忌避感)を癒す役割を果たし、退院後も患者同士が支え合うコミュニティとして機能していました。

自然消滅を避けるために意図的に終了を選んだという点にも、時代の変化が感じられますね。

現在も残る八国山緑地

新山手病院に隣接する八国山緑地は、現在も豊かな自然が残る場所として保全されています。

この緑地は都立公園として整備され、トトロゆかりの地として多くのファンが訪れる観光スポットにもなっています。

2020年代には動画や記事で紹介されることも増え、「トトロの森」として親しまれています。

実際に訪れると、映画に登場した風景を思い起こさせる自然の美しさを体感できるのです。

ファンやSNSでの反応

SNSでは、七国山病院のモデルについて様々な声が上がっています。

「新山手病院を訪れて、トトロの世界観を実感した」という感動の声や、「八国山緑地を散策してサツキとメイの気持ちが分かった気がする」という共感の声が多く見られます。

また、「結核という病気の歴史を知って、映画の見方が変わった」という深い考察をするファンもいます。

映画を単なるファンタジーとして楽しむだけでなく、時代背景や監督の個人的な体験を知ることで、より深く作品を理解できるのですね。

他のモデル説について

一部では東京白十字病院がモデルではないかという説もありますが、地理的・歴史的な適合性から見ると、新山手病院(保生園)がモデルである可能性が最も高いとされています。

八国山緑地との位置関係、結核療養所としての歴史、そして病院自身が公式にトトロのモデルと明記している点などが、その根拠となっています。

七国山病院の名前とモデルについてのまとめ

『となりのトトロ』に登場する七国山病院は、東京都東村山市の新山手病院(旧称:保生園)がモデルです。

実在する八国山を「七国山」に変更したのは、物語を普遍的な日本の田舎として描くためでした。

1950年代の結核療養所という時代背景、宮崎駿監督の母親の闘病体験、そして保生園の歴史が、この病院をモデルに選んだ理由として挙げられます。

保生園は1939年に開園し、東洋一のサナトリウムと呼ばれるほどの規模を誇りました。

退院者の会「保生会」は75回の総会を開催し、結核患者のコミュニティとして重要な役割を果たしてきました。

現在も新山手病院として営業を続けており、八国山緑地とともにトトロゆかりの地として多くのファンが訪れています。

あなたもトトロの舞台を訪れてみませんか

七国山病院のモデルである新山手病院と八国山緑地は、今でも実際に訪れることができる場所です。

映画を観て感動したあの気持ちを、実際の場所で再び感じてみるのも素敵な体験になりますよ。

八国山緑地を散策すれば、サツキとメイが走り回った森の雰囲気を肌で感じることができます。

結核という病気の歴史や、当時の療養所の役割を知ることで、『となりのトトロ』がただのファンタジーではなく、深い社会的背景を持った作品だということが分かります。

映画を観返すときには、ぜひ七国山病院のシーンに注目してみてください。

きっと、これまでとは違った新しい発見があるはずです。

あなたも『となりのトトロ』の世界をより深く楽しんでみませんか?

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