かぐや姫の物語が伝えたいことって何?

かぐや姫の物語が伝えたいことって何?

高畑勲監督の『かぐや姫の物語』を観て、心に何か大きなものが残ったけれど、それが何なのか言葉にできない――そんな経験をされた方は多いのではないでしょうか。

この作品は、誰もが知る『竹取物語』を原作としながらも、単なる昔話の映像化ではありません。

高畑監督が最後の長編アニメーション作品として世に送り出した『かぐや姫の物語』には、現代を生きる私たちにこそ響く、普遍的で深いメッセージが込められています。

この記事では、作品が本当に伝えたかったこと、そこに込められた監督の想いを、作品の設定や物語の構造から丁寧に読み解いていきます。

『かぐや姫の物語』が伝えたいこと

『かぐや姫の物語』が伝えたいこと

『かぐや姫の物語』が最も伝えたいことは、「苦しみや悲しみを含めた、この地上での人間らしい生こそが尊い」というメッセージです。

作品では、完璧で穢れのない月の世界よりも、苦労や悩みに満ちていても彩りがあり、人の情けに溢れる地上の世界の方が価値あるものとして描かれています。

かぐや姫が月に帰る直前に叫ぶ「この世は穢れてなんかいないわ。みんな彩りに満ちて、人の情けを…」という言葉が、作品の核心を端的に表現しているのです。

高畑監督は、苦しい経験も含めて人間として生きることの全てを肯定し、不完全だからこそ美しい人生の輝きを描こうとしました。

なぜ「苦しみの中の生」が尊いのか

なぜ「苦しみの中の生」が尊いのか

月の世界と地上の対比

この作品を理解する上で重要なのが、月の世界と地上の世界の対比構造です。

月の世界は、起伏がなく、感情もなく、苦しみも喜びもない完璧な世界として描かれています。

一見すると理想的に思えるこの世界ですが、高畑監督はこれを「生きている」とは言えない世界として提示しました。

対して地上は、貧困があり、欲望があり、裏切りがあり、別れがあります。

しかし同時に、笑いがあり、愛があり、友情があり、美しい四季があります。

この矛盾に満ちた世界こそが、本当に「生きる」ことができる場所なのだと作品は語りかけます。

かぐや姫の「罪」の意味

作品の設定では、かぐや姫が地上に落とされたのは「罰」としてでした。

彼女の犯した罪とは、起伏のない月世界に「喜び」や「楽しさ」といった感情をもたらしたことだとされています。

この設定が示唆するのは、感情を持つこと、欲望を持つこと自体が月の世界では「罪」とされるという価値観です。

しかし高畑監督は、この「罪」こそが人間性の本質であり、本当は罰されるべきものではなく、尊重されるべきものだと主張しているのです。

かぐや姫は地上で苦しみながらも、本当の意味で「生きる」ことを経験しました。

月への帰還は救済ではなく、むしろ彼女から生きる権利を奪う悲劇として描かれています。

「穢れ」という概念への問いかけ

月の使者たちは、地上を「穢れた世界」と呼び、かぐや姫を「清浄な月の世界」へ連れ戻そうとします。

これは古来から日本に存在する「穢れ」と「清浄」という二元論的な価値観を反映しています。

しかし、かぐや姫は最後の瞬間に「この世は穢れてなんかいないわ」と叫ぶことで、この価値観そのものを否定します。

生老病死、喜怒哀楽、そして人間関係の複雑さ――これらは「穢れ」ではなく、生きることの証なのです。

高畑監督は、完璧さや清浄さを追求するあまり、人間らしさを否定してしまう価値観に対して、明確に異を唱えているのです。

作品に込められた具体的なテーマ

女性の自由と抑圧

『かぐや姫の物語』は、原作『竹取物語』を大胆に再解釈することで、女性が直面する抑圧という現代的なテーマを浮き彫りにしています。

竹林で天真爛漫に育ったかぐや姫は、都に出てからは「姫」として振る舞うことを求められます。

お歯黒をつけ、眉を剃り、何枚も着物を重ね、自由に動くこともできなくなります。

彼女の笑顔は失われ、表情は固くなり、本来の自分を押し殺して生きることを余儀なくされるのです。

特に印象的なのが、五人の貴族たちからの求婚と、帝による強引な求愛のシーンです。

かぐや姫の意思は無視され、周囲の大人たちは彼女を「物」のように扱います。

帝に後ろから抱き寄せられたシーンは、現代で言えば性的暴力にも等しい行為として描かれており、これがかぐや姫が月への逃亡を本気で願う決定的な瞬間となります。

この物語は、平安時代を舞台にしながらも、女性が自分の人生を自分で選べない苦しみという、現代にも通じる普遍的な問題を提起しているのです。

自然との共生と生命の喜び

作品の前半、かぐや姫が「たけのこ」と呼ばれて竹林で過ごす場面は、圧倒的な生命力と喜びに満ちています。

虫を追いかけ、川で遊び、木の実を食べ、友達と笑い合う――ここには人間の原初的な幸福が描かれています。

高畑監督は、この自然の中での生活を理想化するのではなく、人間が本来持っている生命の喜びを表現する場として描きました。

都での生活と竹林での生活の対比は、物質的な豊かさと精神的な豊かさの対比でもあります。

立派な屋敷も美しい着物も、かぐや姫の心を満たすことはできませんでした。

彼女が本当に求めていたのは、自分らしくいられる自由と、心から笑える仲間たちだったのです。

親子の愛と すれ違い

翁と媼(おきなとおうな)の存在も、作品の重要なテーマの一つです。

翁は、かぐや姫を幸せにしたいという純粋な想いから、彼女を「高貴な姫」に育てようとします。

しかし、その行為が結果的にかぐや姫から自由を奪い、彼女を苦しめることになります。

これは、親が子供の幸せを願うあまり、子供の本当の気持ちを見失ってしまうという、普遍的な親子関係の悲劇を描いています。

翁の「お前を幸せにしたかった」という言葉と、かぐや姫の「私は幸せでした」という言葉のすれ違いは、多くの観客の心を打ちました。

愛情があっても理解し合えない――この切なさも、人間関係の中で私たちが経験する普遍的な苦しみの一つなのです。

作品への様々な反応と解釈

生きることへの肯定として受け取った人々

多くの観客が、この作品から「今をしっかり生きよう」というメッセージを受け取っています。

SNSでは「苦しいことがあっても、それも含めて人生なんだと思えた」という感想が見られます。

また「完璧じゃなくていい、不完全でも一生懸命生きることに価値がある」と、作品から自己肯定のメッセージを受け取ったという声も多くあります。

特に現代社会で「完璧さ」や「効率」を求められて苦しんでいる人たちにとって、この作品は大きな慰めとなっているようです。

女性の生きづらさに共感した人々

女性の観客からは、かぐや姫の経験に自分自身を重ねる声が多く聞かれます。

「社会から求められる『女性らしさ』に息苦しさを感じていた自分と重なった」という意見や、「自分の人生を自分で決められない辛さがリアルに描かれていた」という感想が見られます。

帝による求愛シーンについては、「明確に性的暴力として描かれていることに意義がある」という評価もあります。

平安時代の物語でありながら、現代の女性が直面する問題を鋭く描き出している点が高く評価されています。

親として考えさせられた人々

子育て中の親世代からは、翁の姿に自分を重ねて考えさせられたという声が多くあります。

「子供のためと思ってしていることが、本当に子供の幸せになっているのか」という問いかけを受け取った人が多いのです。

「子供の『今』を大切にしなければ」「子供の声にもっと耳を傾けよう」と、作品をきっかけに子育てを見つめ直したという親も少なくありません。

翁の後悔は、多くの親が共感し、そして自分自身への警告として受け止めるものとなっています。

高畑勲監督が込めた想い

「生きる」ことへの根源的な問いかけ

高畑勲監督は、この作品を通じて「生きるとは何か」という根源的な問いを投げかけています。

監督自身のインタビューでも、現代社会が効率や合理性を追求するあまり、人間らしさや感情の豊かさを失いつつあることへの危機感が語られています。

『かぐや姫の物語』は、そんな現代社会への静かな、しかし力強いメッセージなのです。

月の世界が象徴するのは、完璧で効率的だけれども人間性を失った社会です。

私たちは、そんな社会を無意識のうちに目指してしまってはいないでしょうか。

アニメーション表現へのこだわり

この作品の独特な水彩画風のアニメーション表現も、テーマと深く結びついています。

輪郭線が揺らぎ、色がにじみ、時に荒々しく、時に繊細に描かれる映像は、完璧ではないからこそ生命力を感じさせるものとなっています。

これは、作品のテーマである「不完全さの中の美しさ」を視覚的に表現したものとも言えます。

特にかぐや姫が感情を爆発させて都から逃げ出すシーンは、荒々しい線と激しい動きで描かれ、彼女の抑圧されていた感情が一気に解放される様子が伝わってきます。

最後の長編作品として

『かぐや姫の物語』は、高畑勲監督の最後の長編アニメーション作品となりました。

制作には8年の歳月がかかり、監督自身も高齢での制作となりました。

そんな状況で作られたこの作品には、監督の人生経験と、人生の終わりを意識した上での「生きること」への深い洞察が込められています。

かぐや姫が月に帰らざるを得ないという結末は、私たち人間が必ず訪れる死を前にして、それでもなお「生きることは素晴らしい」と言い切る監督の覚悟のようにも感じられます。

まとめ

『かぐや姫の物語』が伝えたいことは、苦しみや悲しみを含めた、この地上での人間らしい生こそが尊いというメッセージです。

完璧で穢れのない世界よりも、不完全でも彩りがあり、人の情けに溢れる世界の方が価値があると、作品は語りかけています。

女性の自由と抑圧、親子のすれ違い、自然との共生、そして生きることの喜びと苦しみ――作品は多層的なテーマを織り込みながら、普遍的な「生きること」の意味を問いかけています。

高畑勲監督が最後の長編作品として世に送り出したこの映画は、現代を生きる私たちにこそ響く、深く、そして優しいメッセージに満ちているのです。

この作品から受け取ったメッセージを胸に

『かぐや姫の物語』を観て、あなたの心に何かが残ったのなら、それはきっとあなた自身の人生と響き合う何かがあったからでしょう。

完璧でなくていい、苦しいことがあってもいい――そんな風に思えたなら、それこそがこの作品があなたに贈ったメッセージです。

日々の生活の中で、時には立ち止まって、空を見上げたり、風を感じたり、大切な人と笑い合ったりしてみてください。

そんな何気ない瞬間の中にこそ、かぐや姫が最後まで手放したくなかった「地上の彩り」があるのかもしれません。

あなたの人生は、あなただけのものです。

誰かの期待に応えるためではなく、あなた自身が心から「生きている」と感じられる瞬間を、大切にしてください。

それが、この作品が私たちに伝えたかった、最も大切なメッセージなのですから。

キーワード: かぐや姫の物語,伝えたいこと