
スタジオジブリ×高畑勲監督が贈る「かぐや姫の物語」を観た多くの人が、物語のクライマックスで流れる音楽に強烈な印象を受けています。
明るいはずなのに、どこか不気味で恐ろしい。
無感情で機械的なのに、祝祭的で華やか。
この相反する感情を呼び起こす音楽こそが「月の音楽」と呼ばれるものです。
この記事では、かぐや姫の物語における月の音楽の正体と、なぜこの曲がこれほどまでに視聴者の心に残るのか、その演出意図や制作背景について詳しく解説していきますね。
かぐや姫の物語の月の音楽とは
かぐや姫の物語における月の音楽とは、久石譲が作曲した「高貴なお方の狂騒曲(ラプソディ)」という楽曲です。
この曲は物語のクライマックス、月からの使者たちがかぐや姫を迎えに来るシーンで流れます。
明るく祝賀的なメロディーでありながら、多くの視聴者に感情のなさや不気味さを感じさせるという、独特の音楽表現となっています。
ガムラン風やサンバ風とも評される底抜けに明るいリズムが特徴で、必死に抵抗する人間たちの姿とは対照的に、超然とした無感情な世界観を音楽で表現しているのです。
なぜ月の音楽は明るいのに不気味なのか

高畑勲監督の演出意図
この独特の音楽表現は、高畑勲監督の明確な演出意図によって生み出されました。
久石譲へのオーダーは「月の世界は幸せなので、幸せな音楽にしてほしい」というものでした。
月の住人たちは「皆幸せに生きている」という設定のため、彼らにとって地上からかぐや姫を連れ戻すことは喜ばしい出来事なのです。
そのため、音楽は祝祭的で明るくなければならなかったんですね。
通常のアニメとは真逆の演出手法
一般的なアニメーション作品では、悲しいシーンには悲しい音楽を、恐ろしいシーンには恐ろしい音楽を当てるのが定石です。
しかし高畑監督は、あえて真逆の手法を選びました。
別れの悲しみと絶望に包まれたシーンに、底抜けに明るい音楽を重ねることで、観客に強烈な違和感と恐怖を植え付けたのです。
この演出は久石譲も「通常のアニメの逆張り」と表現しており、制作当時から意図的に仕組まれたものでした。
月の世界の無感情さの象徴
月の音楽の不気味さは、月の世界の本質を表現しています。
月は清浄で穢れのない世界ですが、それは同時に感情のない世界でもあるのです。
人間的な喜怒哀楽が存在せず、すべてが淡々と、機械的に進行していく。
明るい音楽の中に感じる空虚さや冷たさは、まさに月の世界の本質そのものを音で表現したものなんですね。
仏教的来迎図との関連性
月からの使者の登場シーンは、仏教の来迎図に似た構図になっています。
来迎図とは、阿弥陀如来が極楽浄土へ死者を迎えに来る様子を描いたものです。
本来は喜ばしい光景のはずが、かぐや姫にとっては地上での記憶を失い、人間性を奪われる恐怖の瞬間。
この宗教的モチーフと音楽が結びつくことで、救済と強制送還という二重の意味を持つ場面となっています。
視聴者やSNSでの反応
「明るいけど怖い」という共通認識
かぐや姫の物語を観た多くの人が、月の音楽について同じような感想を抱いています。
SNSでは以下のような声が数多く見られます。
- 「明るい音楽なのに、なぜかものすごく怖い」
- 「感情がない狂気を感じる」
- 「淡々とした恐怖が心に残る」
- 「小さな子供も不思議な怖さで泣いてしまった」
この共通認識は、高畑監督の演出が見事に成功している証拠と言えるでしょう。
羽衣と記憶喪失の恐怖
月の音楽が最も恐ろしく感じられるのは、かぐや姫に羽衣が着せられる瞬間です。
羽衣を纏った瞬間、かぐや姫の表情から感情が消え、地上での記憶が失われていきます。
人間性を失う瞬間と明るい音楽のコントラストが、観客に深い恐怖を与えるのです。
愛する人たちとの思い出が消えていく様子を、祝祭的な音楽が包み込む。
この演出は多くの視聴者にトラウマ級の印象を残しています。
サウンドトラックとしての評価
映画公開から10年以上が経った現在でも、月の音楽はサウンドトラックの中でも特に印象的な楽曲として語り継がれています。
久石譲の作曲技術と高畑勲の演出センスが融合した傑作として、アニメーション音楽史に残る一曲となりました。
不気味さが話題になることで、逆にこの楽曲の芸術性が広く認知されるという興味深い現象も起きているんですね。
月の音楽に込められた深いメッセージ
地上への憧れと月の歌
物語の中で重要なのは、かぐや姫が月にいたときに地上の歌を聞いたという設定です。
月では失われているはずの感情が込められた地上の歌。
それが彼女の地上への憧れのきっかけとなりました。
しかし帰還した月の住人は記憶を失うはずなのに、天女が無感動に地上の歌を口ずさむという矛盾が描かれます。
この矛盾こそが、月と地上、感情と無感情という対比を深める重要な要素となっているのです。
清浄さと穢れという価値観
月の使者たちは、地上を「穢れた世界」として見下しています。
彼らの価値観では、かぐや姫を清らかな月へ連れ戻すことは善行であり、喜ばしいこと。
だからこそ音楽は明るく、祝祭的でなければならないのです。
しかし観客である私たちは、地上に生きる人間の視点で物語を見ています。
そのギャップが、音楽の不気味さとして感じられるわけですね。
久石譲の作曲技術
この複雑な感情表現を実現した久石譲の作曲技術も見逃せません。
サンバ風のリズム、ガムラン風の音色、そして宗教音楽的な荘厳さ。
これらの要素を組み合わせることで、明るさと不気味さを同時に表現するという高度な技術を実現しました。
高畑監督からの難しい注文に対して、久石譲は見事に応えたのです。
かぐや姫の物語全体の音楽設計
対比としての地上の音楽
月の音楽の不気味さは、それまでの地上シーンで流れる音楽との対比でより際立ちます。
物語前半では、自然の中で育つかぐや姫の生き生きとした姿が、温かく優しい音楽とともに描かれます。
この対比があるからこそ、月の音楽のインパクトが強まるんですね。
音楽を通じて、地上と月という二つの世界の違いを鮮明に描き出しています。
感情の有無を音楽で表現
かぐや姫の物語における音楽設計の核心は、感情の有無を音で表現することにあります。
- 地上の音楽:感情豊かで、喜怒哀楽が表現される
- 月の音楽:明るいが感情がなく、機械的で超然としている
この音楽設計により、観客は音を聞くだけでどちらの世界の場面かを直感的に理解できます。
視覚だけでなく、聴覚からも世界観を伝える高度な演出となっているのです。
記憶と音楽の関係性
物語の重要なテーマの一つが「記憶」です。
羽衣によって記憶を失い、感情を奪われるかぐや姫。
その瞬間に流れる月の音楽は、記憶喪失という恐怖を音で表現しています。
明るい音楽なのに恐ろしいと感じるのは、自分自身を失うことへの本能的な恐怖が喚起されるからかもしれませんね。
まとめ:月の音楽が伝えるもの
かぐや姫の物語における月の音楽とは、久石譲作曲の「高貴なお方の狂騒曲(ラプソディ)」です。
この曲は明るく祝祭的でありながら、感情のなさや不気味さを感じさせる独特の楽曲として知られています。
高畑勲監督の演出意図により、通常のアニメとは真逆の手法で、悲しい別れのシーンに明るい音楽を重ねることで、観客に強烈な違和感と恐怖を植え付けました。
この音楽は月の世界の無感情さ、超然とした価値観を象徴し、地上に生きる人間の視点とのギャップを際立たせています。
多くの視聴者が「明るいけど怖い」「感情がない狂気」と感じるのは、まさに制作者の意図通りの反応なのです。
羽衣によって記憶と感情を失うかぐや姫の姿と、祝祭的な音楽のコントラストは、人間性を失う恐怖を音楽で表現した傑作と言えるでしょう。
もう一度、心して観てみませんか
かぐや姫の物語の月の音楽について理解が深まったなら、ぜひもう一度作品を観てみてください。
音楽の意図を知った上で観ると、また違った感動や発見があるはずです。
明るい音楽の中に隠された深いメッセージ、月と地上という二つの世界の対比、そして感情の有無が人間性とどう関わるのか。
高畑勲監督が最後に遺した傑作の真髄を、音楽を通じて感じ取ってみてくださいね。
きっとあなたの心にも、あの不思議な音楽が響き続けることでしょう。