
高畑勲監督の『かぐや姫の物語』を観た方の多くが、心に残るシーンとして挙げるのが、かぐや姫と捨丸兄ちゃんの再会シーンではないでしょうか。
幼い頃に山で一緒に遊んだ捨丸兄ちゃんと、月に帰る直前に再会したかぐや姫。
二人が空を舞う美しくも切ないシーンは、観る者の心を揺さぶりますよね。
でも同時に「妻子がいるのに駆け落ちしようとするなんて」という批判の声も多く聞かれます。
この記事では、かぐや姫と捨丸兄ちゃんの再会シーンについて、その経緯から結末、そして高畑監督が込めた意図まで、詳しく解説していきます。
かぐや姫と捨丸兄ちゃんの再会は「夢」として描かれた切ない別れ

『かぐや姫の物語』における捨丸兄ちゃんとの再会は、月に帰る直前のかぐや姫が故郷の山を訪れた際に実現し、二人は幻想的な空中飛行を共有しますが、最終的には「夢オチ」として捨丸が目覚め、現実の妻子のもとへ戻るという形で描かれています。
この再会シーンは、かぐや姫が地上で本当に望んでいた生き方と、失われた時間への痛切な想いを表現する、物語のクライマックスとなっています。
美しくも残酷な、取り戻せない過去への憧憬が込められた名シーンですね。
なぜ捨丸兄ちゃんとの再会が物語の重要な場面なのか

捨丸兄ちゃんというキャラクターの役割
捨丸兄ちゃんは、かぐや姫が幼少期を過ごした山村での遊び仲間でした。
他の子供たちから「捨丸兄ちゃん」と慕われ、自由奔放な山の生活を象徴する存在として描かれています。
かぐや姫にとって、捨丸兄ちゃんは都の貴族社会とは対極にある、本当の自分でいられた時代の象徴だったんですね。
成長後の捨丸の姿
山を去った後の捨丸は、かぐや姫が想像していた姿とは異なる人生を歩んでいました。
再会時には妻子持ちの大人に成長しており、木地師として生活しながらも「よんどころないから泥棒まがいのこともやって」と語るほど、厳しい生活を送っていたとされています。
幼い頃の自由な少年は、現実の重みを背負った大人になっていたのです。
再会シーンが描かれた経緯
月に帰ることが決まり、迎えが来る直前のかぐや姫。
彼女は最後にもう一度、自分が本当に生きたかった場所である故郷の山を訪れます。
そこでちょうど戻ってきた捨丸と偶然再会するのです。
この再会は、かぐや姫が「私を生きたい」という最後の叫びを上げる場面でもありました。
幻想的な空中飛行シーンの意味
再会した二人は、不思議な力で空中を舞い始めます。
このシーンは約5分間にわたって描かれ、手をつなぎ、抱擁し、夢のような幸福な時間を過ごします。
かぐや姫は「お前と逃げたい」と告白し、捨丸は即座に「一緒に逃げよう」と応じるのです。
美しい水彩画のようなタッチで描かれたこのシーンは、二人が本当に望んでいた「もしも」の世界を表現しています。
夢オチとしての結末が持つ意味
しかし、月が現れると二人は離れ離れになってしまいます。
捨丸は落下して目を覚まし、妻子の待つ現実へと戻るのです。
この再会自体が彼の夢として描かれることで、実際の浮気や駆け落ちは未遂に終わります。
夢オチという形式を使うことで、高畑監督は取り戻せない時間への痛みと、叶わなかった可能性への憧憬を表現したのですね。
「罪と罰」のテーマとの関連
『かぐや姫の物語』全体を貫くテーマは「罪と罰」です。
かぐや姫が月で犯した罪の罰として、地上で生を受け、様々な感情を経験します。
その中でも特に強調されるのが、叶わない恋や失われた時間への痛みです。
捨丸との再会シーンは、地上の恋を悲恋にすることで、かぐや姫が経験する「罰」の深さを表現する重要な場面となっています。
再会シーンに対する様々な意見と解釈
「妻子持ちなのにひどい」という批判的な声
この再会シーンに対して、多くの視聴者から批判の声が上がりました。
特に「妻子がいるのに駆け落ちしようとするなんて」「浮気じゃないか」「捨丸はクズだ」という意見が目立ちます。
確かに現実の倫理観で見れば、妻子を置いて別の女性と逃げようとする行為は許されるものではありませんよね。
SNSでは「捨丸のせいで作品の評価が下がった」「あのシーンだけは納得できない」という声も多く見られます。
「初恋の未練を描いた切ないシーン」という擁護の声
一方で、このシーンを肯定的に捉える意見も多く存在します。
「夢オチだから実際には浮気していない」「初恋への未練は誰にでもある」「現実に戻ったから問題ない」という解釈ですね。
また「かぐや姫の切ない想いを表現するために必要なシーンだった」と、作品全体の文脈から理解しようとする声もあります。
ファンの間では「あのシーンがあるからこそ、月に帰る悲しみが際立つ」という意見も根強くあります。
高畑監督が込めた作品的意義についての考察
高畑勲監督は、この再会シーンに深い意図を込めていたとされています。
それは「取り戻せない時間」と「叶わなかった可能性」への痛切な想いを描くことでした。
かぐや姫が本当に望んでいた生き方は、都の貴族としての生活ではなく、山で自由に生きることだったのです。
捨丸との再会は、その「もしも」の世界を一瞬だけ見せることで、失われたものの大きさを際立たせる役割を果たしています。
「山の自由」を体現する存在としての捨丸
捨丸というキャラクターは、かぐや姫が憧れた「山の自由な生活」を体現する存在でした。
都の窮屈な生活から逃れたかった姫にとって、捨丸は自由の象徴だったのです。
しかし再会してみると、捨丸もまた現実の重みを背負い、自由とは程遠い生活を送っていました。
この対比も、理想と現実のギャップという作品のテーマを強調しています。
原作『竹取物語』にはない再会シーンの追加理由
実は捨丸兄ちゃんというキャラクター自体が、高畑監督によるオリジナル創作です。
原作の『竹取物語』には登場しません。
では、なぜこのキャラクターと再会シーンを追加したのでしょうか。
それは、かぐや姫の「地上への執着」をより強く描くためだったと考えられています。
月に帰ることへの抵抗感を強調することで、物語に深い感情的な層を加えたのですね。
2013年公開から現在まで続く議論
『かぐや姫の物語』は2013年11月23日に公開されました。
アカデミー賞長編アニメ映画部門にノミネートされるなど、高い評価を受けた作品です。
しかし公開から10年以上経った現在でも、この捨丸との再会シーンについては議論が続いています。
ファンのブログやレビューサイトでは、今も活発に解釈や考察が語られているんですね。
実際の視聴者の反応と代表的な意見
SNSで見られる賛否両論の声
SNSでは、この再会シーンについて様々な意見が投稿されています。
批判的な意見としては、以下のようなものがあります。
- 「妻子がいるのに他の女性と逃げようとするなんて許せない」
- 「捨丸の好感度が急落した。あのシーンは不要だった」
- 「現代の倫理観では受け入れられない展開」
- 「妻子を置いて行こうとする姿勢が理解できない」
一方、擁護する意見も多く見られます。
- 「夢オチだから実際には何も起きていない。初恋への未練を描いただけ」
- 「あのシーンがあるからこそ、月に帰る悲しみが際立つ」
- 「取り戻せない時間の切なさを表現した名シーン」
- 「かぐや姫の本当の気持ちが分かる重要な場面」
映画評論家や専門家の分析
映画評論家の間では、この再会シーンは作品全体の文脈で理解すべきだという意見が主流です。
「高畑監督は単なるロマンスを描きたかったのではなく、人間の根源的な感情や、取り戻せないものへの憧憬を表現したかった」という分析がされています。
また「夢という形式を使うことで、倫理的な問題を回避しつつ、感情の真実を描いた」という見方もあります。
専門家の多くは、このシーンが物語のテーマを深める重要な役割を果たしていると評価しているんですね。
ファンコミュニティでの継続的な考察
ファンコミュニティでは、今も活発に考察が続けられています。
特に議論されているのは以下のような点です。
- 捨丸は本当にかぐや姫のことを覚えていたのか
- あの空中飛行は誰の視点の夢だったのか
- 捨丸が目覚めた後、何か記憶は残っていたのか
- かぐや姫が月で記憶を失った後、この再会のことも忘れたのか
このような細かい部分まで考察されるほど、視聴者の心に残る印象的なシーンだということですね。
まとめ:かぐや姫と捨丸兄ちゃんの再会が描く人間の本質
『かぐや姫の物語』における捨丸兄ちゃんとの再会シーンは、月に帰る直前のかぐや姫が故郷の山を訪れた際に実現し、幻想的な空中飛行を共有するものの、最終的には夢として終わる切ない別れとして描かれています。
このシーンには賛否両論がありますが、高畑監督が込めた意図は明確です。
それは取り戻せない時間への痛み、叶わなかった可能性への憧憬、そして人間が持つ根源的な感情の真実を描くことでした。
妻子がいる捨丸の行動を倫理的に批判する声は理解できます。
しかし、夢という形式を使うことで実際の浮気は回避しつつ、初恋への未練という誰もが持ちうる感情を表現したのですね。
かぐや姫にとって捨丸は、自由な山の生活の象徴であり、本当の自分でいられた時代の象徴でした。
その捨丸との再会と別れを通して、かぐや姫が地上で本当に望んでいたものが何だったのかが明確になります。
そして同時に、それが決して手に入らないものだったという残酷な現実も突きつけられるのです。
この再会シーンは、『かぐや姫の物語』という作品全体のテーマである「罪と罰」「生きることの喜びと痛み」を集約した、重要なクライマックスなのです。
この作品を見返すときのヒント
『かぐや姫の物語』を観るとき、捨丸との再会シーンだけを切り取って判断するのではなく、かぐや姫の人生全体の流れの中で捉えてみてください。
山での自由な幼少期、都での窮屈な生活、そして月への帰還。
その流れの中で、捨丸との再会がどのような意味を持つのかが見えてきます。
高畑勲監督が最後の長編作品として遺したこの映画には、人生についての深い洞察が込められています。
賛否両論あるからこそ、何度観ても新しい発見がある作品なんですね。
もし一度観て「捨丸のシーンが納得できない」と感じた方も、もう一度別の視点から観てみると、違った感動が得られるかもしれません。
この美しくも残酷な物語を、ぜひご自身の心で感じてみてください。