
高畑勲監督の『かぐや姫の物語』を観た多くの人が心を揺さぶられる「逃げる」シーン。
宴から一目散に山へ走るあの印象的な疾走、幼なじみの捨丸と空を飛ぶ逃避行、帝の抱擁から瞬間的に脱出する場面など、物語の中で姫は何度も「逃げる」選択をします。
でも、なぜあれほど激しく走ったのか、捨丸との逃避行は何を意味していたのか、そして最終的に月へ帰ることは本当の「逃避」だったのか。
この記事では、『かぐや姫の物語』における「逃げる」シーンの演出意図と込められた深いメッセージ、さらにSNSで話題になった視聴者の反応まで、徹底的に解説します。
作品をより深く理解したいあなたに、きっと新しい発見があるはずですよ。
『かぐや姫の物語』で逃げるシーンが表現しているもの

『かぐや姫の物語』における「逃げる」シーンは、抑圧された感情の爆発と自由への渇望を表現しています。
特に宴から山へ一目散に走る疾走シーンは、都での窮屈な生活、望まない姫君としての役割、結婚を迫る男たちからの精神的な脱出を視覚化した名シーンとして評価されています。
また、幼なじみ捨丸との逃避行は叶わぬ願望を、帝からの脱出は性暴力的な強要からの逃避をそれぞれ描いており、物語全体を通じて「自分の身体と生き方を取り戻そうとする抵抗」がテーマとなっているのです。
なぜかぐや姫は逃げ続けたのか?各シーンの意味を深掘り

宴から山へ一目散に走る疾走シーンの意味
都での宴会中、心ない言葉に傷ついたかぐや姫が、屋敷から一目散に山へ向かって走って逃げる場面があります。
このシーンの最大の特徴は、その荒々しい筆致と崩れる線にあります。
背景が溶けるように描かれ、通常のアニメーション表現とは一線を画した演出で、抑圧された感情の爆発を視覚化しています。
疾走シーンが表現する三つの抑圧
この疾走シーンでかぐや姫が逃げようとしているのは、以下の三つの抑圧からです。
- 望まぬ「姫君」としての役割 - 自分らしさを失い、型にはめられた生活
- 結婚を迫る男たちの欲望 - 所有物として扱われる存在への拒絶
- 家族の期待と社会的圧力 - 翁の願いと自分の願いとのギャップ
日本テレビ「金曜ロードショー」の公式解説でも、「都の窮屈な生活と欲まみれの男たちに嫌気がさした姫」が山に向かって走り出すと紹介されており、社会や性別役割からの逃走を象徴する場面として位置づけられています。
なぜ「山」へ向かったのか
かぐや姫が逃げた先が「山」であることにも意味があります。
山は彼女が幼少期を過ごした場所であり、自由に笑い、走り回ることができた「本来の自分」がいた場所です。
都での生活に窒息しそうになった姫が、本能的に「自分が生きていた場所」へ戻ろうとしたこの行動は、真の自分を取り戻そうとする切実な叫びとして描かれているのですね。
幼なじみ捨丸との「一緒に逃げよう」という選択
終盤、月へ帰る直前にかぐや姫は幼なじみの捨丸と再会し、二人は一緒に逃げようと空を飛びます。
しかし、この逃避行は夢のような時間として終わり、最終的には叶わない願いとなってしまいます。
捨丸との逃避行が持つ二重の意味
この場面には二つの解釈が存在します。
一つは、かぐや姫の願望や幻影として見る解釈です。
現実の逃亡というより、「もしあの時のままだったら」という叶わぬ夢を視覚化したものとして読む見方ですね。
もう一つは、現世での幸せを選ぶ最後のチャンスとして見る解釈です。
しかし、かぐや姫が選んだのは捨丸との現世逃避ではなく、月への帰還でした。
これは「運命から逃げられない」選択でもあり、ラストの苦さの一因となっています。
なぜ最終的に月を選んだのか
捨丸と逃げることもできたはずなのに、なぜかぐや姫は月へ帰る道を選んだのでしょうか。
それは、帝からの強要によって彼女自身が「迎えに来てほしい」と月に願ってしまったからです。
一度願ってしまった以上、月の掟からは逃れられません。
捨丸との時間は美しくも儚い、「逃げることができなかった」ことを際立たせる対比として機能しているのです。
帝からの強引な抱擁からの瞬間的脱出
帝がかぐや姫を力ずくで抱きしめる場面で、かぐや姫は月の力でその場から瞬間的に逃れます。
まるでワープするかのような演出で描かれたこの脱出は、性暴力的な強要からの逃避を表現しています。
この脱出が引き起こした悲劇
この場面が物語の転換点となります。
帝からの暴力的とも言える求愛に恐怖を感じたかぐや姫は、思わず月に「迎えに来てほしい」と願ってしまうのです。
その結果として月の使者が下りてくることになり、地上での生活を終わらせる流れが確定してしまいます。
ここには現代的なジェンダー・暴力の問題意識が込められており、性暴力からの逃避の代償として「死への逃避」を選ばざるを得なかったという重いテーマが読み取れるのです。
月への帰還は「逃げる」ことなのか
最終的に月へ帰ることは、本当の意味で「逃げる」ことになったのでしょうか。
月に帰る際、かぐや姫は地上での記憶をすべて消され、抵抗をやめて無表情になります。
これは「執着からの解放」と同時に、人生や愛の否定にも見えます。
逃げ切れない閉塞感
かぐや姫の「助けて」「迎えに来て」という願いは、結果的に自分の「生」からの逃避となりました。
そしてその願いを悔やみながらも止められない構図が、逃げ場のない閉塞感として描かれています。
物語全体を通じて、かぐや姫は何度も「逃げる」行動を取りますが、最終的には月の掟・記憶の消去からは逃げられません。
生を肯定し始めたところで終わるため、逆説的にいまここを生きることの尊さを際立たせる結末となっているのですね。
SNSで話題になった「逃げる」シーンへの反応
「妻子捨て丸」問題がトレンド入り
2025年1月9日、日本テレビ「金曜ロードショー」で再放送された際、SNSで大きな議論が巻き起こりました。
それは、捨丸が妻子持ちであることです。
高畑版では捨丸には妻子がいる設定で、その状態でかぐや姫と「逃げる」ことを選びかけたため、「妻子捨て丸」「不倫」などの言葉がトレンド入りしました。
視聴者の賛否両論
このシーンに対する視聴者の反応は大きく分かれました。
- 「美しい純愛として見ていたのに、妻子がいると知って複雑な気持ちになった」
- 「倫理的にどうなのか。妻子を捨てることを美化していいのか」
- 「かぐや姫の気持ちを優先すれば、捨丸の選択も理解できる」
- 「あれは幻影であり、現実に逃げたわけではないから問題ない」
逃避行シーンが、美しい純愛としてだけでなく、「倫理的にどう見るか」という現代的な視点でも語られ直しているのが最近の特徴と言えますね。
疾走シーンの作画への賞賛
一方で、宴から山へ走るシーンの作画については、圧倒的な賞賛の声が集まっています。
「あの崩れる線で感情の爆発を表現する手法が素晴らしい」という声や、「アニメーションでしか表現できない心の叫びだ」という評価が多く見られます。
声優の朝倉あきさんも「印象的な場面」として挙げており、作品を代表するカットとしてたびたび言及されています。
「怖い」「重い」という感想が多い理由
月の迎えの場面について、「怖い」「重い」という感想を持つ視聴者が多いことも特徴的です。
月に帰る演出は、「死」や「あの世への旅立ち」を連想させるものとなっています。
特に、かぐや姫が記憶を消され、抵抗をやめて無表情になる描写は、強い喪失感を与えます。
「子供の頃に観たトラウマが蘇った」「大人になって観ると、より怖さが理解できた」といった声がSNSには多数投稿されています。
これは、単なるホラー的な怖さではなく、人生や愛を否定されることへの実存的な恐怖が描かれているからこそ生まれる反応なのです。
物語全体における「逃げる」というテーマの意味
所有物として扱われ続けた存在
批評や考察では、かぐや姫は生涯、様々な存在から所有物として扱われ続けた存在として描かれているとされています。
- 貧しさから抜け出そうとする翁の野心の対象
- 宮廷の規範に縛られる姫君としての役割
- 五人の貴公子たちの欲望の対象
- 帝による支配と所有の対象
こうした状況下で、都での生活・見合い・帝からの強要から「逃げる」行為は、単なるわがままではありません。
自分の身体と生き方を取り戻そうとする抵抗として描写されているのです。
逃げても逃げ切れない運命
しかし、物語が示すのは「逃げることの成功」ではなく、「逃げても逃げ切れない運命」です。
かぐや姫は何度も逃げようとしますが、最終的には月の掟からは逃れられません。
生きることの苦しさ、逃げても逃げ切れない現実を描きながら、逆説的にいまここを生きることの尊さを際立たせています。
高畑監督は、逃避の先にある絶望と、それでも生きることの意味を同時に描くことで、観客に深い問いを投げかけているのですね。
現代的な視点からの再評価
『かぐや姫の物語』は、製作費約50億円に対し興行収入24.7億円と大きな赤字を出しました。
しかし、公開後の評価は高まり続けており、ラストや「逃げる」シーンを中心に再評価が進んでいます。
特に、ジェンダーの視点、性暴力への問題意識、個人の自由と社会の抑圧といった現代的なテーマが込められていることが、改めて注目されているのです。
まとめ:かぐや姫が逃げ続けた本当の意味
『かぐや姫の物語』における「逃げる」シーンは、抑圧された感情の爆発と自由への渇望を表現しています。
宴から山へ一目散に走る疾走シーンは、都での窮屈な生活や性別役割からの精神的な脱出を視覚化した名シーンです。
幼なじみ捨丸との逃避行は叶わぬ願望を、帝からの脱出は性暴力的な強要からの逃避をそれぞれ描いています。
そして最終的な月への帰還は、逃げても逃げ切れない運命を示しながら、逆説的にいまここを生きることの尊さを際立たせているのです。
かぐや姫が逃げ続けたのは、自分の身体と生き方を取り戻そうとする抵抗であり、物語全体を通じて「生きることの意味」という普遍的なテーマが描かれています。
SNSでは「妻子捨て丸」問題や疾走シーンの作画など、様々な角度から議論が続いており、公開から時間が経った今も、多くの人の心を揺さぶり続けている作品なのですね。
あなたも改めて観てみませんか
『かぐや姫の物語』の「逃げる」シーンに込められた意味を知った今、もう一度作品を観てみると、新しい発見があるはずです。
疾走シーンの荒々しい線、捨丸との逃避行の切なさ、月への帰還の重さ。
それぞれのシーンが持つ深い意味を意識しながら観ると、高畑監督が伝えようとしたメッセージがより鮮明に心に響いてきますよ。
時には逃げたくなることがあっても、それでも今を生きることの尊さを教えてくれるこの作品。
ぜひ、あなた自身の目で確かめてみてくださいね。