かぐや姫の物語のわらべ唄、歌詞の意味は?

かぐや姫の物語のわらべ唄、歌詞の意味は?

スタジオジブリの映画『かぐや姫の物語』を観たとき、あの印象的なわらべ唄が心に残った方は多いのではないでしょうか。

幼いかぐや姫が山で遊びながら歌うあの歌には、実は深い意味が込められているんですね。

この記事では、高畑勲監督自身が作詞作曲したわらべ唄の歌詞全文と、その意味、そして物語全体における重要な役割について詳しく解説していきます。

映画をもう一度観たくなるような、新しい発見があるかもしれませんよ。

わらべ唄の歌詞と意味

わらべ唄の歌詞と意味

『かぐや姫の物語』のわらべ唄は、高畑勲監督自身が作詞・作曲したオリジナル楽曲です。

この歌は、自然の循環といのちの再生をテーマにしており、京言葉の「せんぐり」という言葉を使って、水車のように繰り返す生命の輪廻を表現しています。

わらべ唄の歌詞全文

まず、歌詞の全文をご紹介しますね。

鳥 虫 けもの 草 木 花
咲いて 実って 散ったとて
生まれて 育って 死んだとて
風が吹き 雨が降り 水車まわり
せんぐり いのちが よみがえる
せんぐり いのちが よみがえる

歌詞が持つ深い意味

この歌詞の意味は、鳥・虫・獣・草木・花が咲き実り散り、生きて育ち死ぬ過程を自然のサイクルとして表現しています。

水車が回るように、いのちが次々に蘇る輪廻転生の思想を示しているんですね。

「せんぐり」という京言葉は「次々に」「順番に」「順繰り」という意味で、この言葉の選択自体に高畑監督のこだわりが感じられます。

劇中ではかぐや姫が山で遊びながら歌い、地球という水の惑星における生命の流れを象徴する重要な場面となっています。

なぜこのわらべ唄が作られたのか

なぜこのわらべ唄が作られたのか

高畑勲監督がなぜこのわらべ唄を自ら作詞作曲したのか、その背景には深い意図がありました。

原作を超えた物語のテーマ

『かぐや姫の物語』は、古典『竹取物語』を原作としていますが、高畑監督は単なる翻案にとどまりませんでした

原作にはないわらべ唄を創作することで、「人間として生きる意味」という普遍的なテーマを作品に織り込んだのです。

このわらべ唄は、かぐや姫の幼少期を象徴する歌として、彼女の純粋な地球への憧れを表現しています。

月と地球の対比

物語の中で月は、罪も穢れもない清浄な世界として描かれていますね。

しかし同時に、それは感情も煩悩もない、生きている実感のない世界でもあります。

対照的に地球は、生老病死があり、苦しみもあるけれど、生きている手応えがある世界です。

わらべ唄はまさにこの地球の生命の循環を歌っており、かぐや姫が地球に惹かれた理由を音楽で表現しているんですね。

いのちの有限性と美しさ

「咲いて 実って 散ったとて」「生まれて 育って 死んだとて」という歌詞は、生命の有限性を肯定的に捉えています。

死があるからこそ、生は意味を持つ。

散るからこそ、花は美しい。

高畑監督は、このわらべ唄を通して、終わりがあることの美しさを表現したかったのではないでしょうか。

音楽的な工夫と転調

高畑監督の音楽的手法として特筆すべきは、幼年期のわらべ唄が陰音階の「天女の歌」へ転調するシーンです。

これは音楽的な連続性を保ちながら、かぐや姫の成長と運命の変化を表現する巧みな演出となっています。

わらべ唄の素朴な旋律が、より洗練された「天女の歌」へと変化していく過程は、かぐや姫自身の変化とも重なりますね。

物語全体におけるわらべ唄の役割

このわらべ唄は、単なる劇中歌ではなく、物語の核心に関わる重要な要素となっています。

かぐや姫が地球に来た理由

物語の設定として、かぐや姫は月で、地上から戻った天女が口ずさんだこのわらべ唄を聞き、地球に憧れて罰として降ろされたとされています。

月では本来、地上の記憶は失われるはずなのに、天女がこの歌を覚えていたという矛盾が、かぐや姫の運命のきっかけを生むんですね。

つまり、このわらべ唄こそが、物語全体の発端となった「きっかけ」だったわけです。

生きる手応えの象徴

映画は、煩悩に満ちた人間世界の苦しみを丁寧に描いています。

姫としての窮屈な生活、求婚者たちの欲望、捨丸との叶わぬ恋。

かぐや姫は多くの苦しみを経験しますが、それでも終盤で「生きている手応えがあれば、きっと幸せになれた」と語ります。

わらべ唄は、そんな地球の有限な命と生きる手応えの美しさを最初から予告していたんですね。

記憶と輪廻のテーマ

月に帰るとき、かぐや姫は地上の記憶をすべて失うことになります。

しかし、天女がわらべ唄を覚えていたように、本当に大切なものは何らかの形で受け継がれていく。

「せんぐり いのちが よみがえる」という歌詞は、個人の記憶は失われても、いのちそのものは循環し続けるという希望を示しているとも解釈できますね。

わらべ唄に関する様々な反応と考察

『かぐや姫の物語』のわらべ唄は、公開以来多くの人々の心を捉え、様々な考察や感想が生まれています。

映画を観た人々の反応

映画を観た多くの人が、このわらべ唄が印象に残ったと語っています。

SNSでは「わらべ唄を聴くたびに涙が出る」「シンプルな歌詞なのに深い意味がある」という声が多く見られます。

特に、映画を繰り返し観た人ほど、このわらべ唄の重要性に気づき、物語全体の理解が深まったという意見が目立ちますね。

ファンの間では「この歌こそが映画の核心」「高畑監督の哲学が凝縮されている」といった評価も多いです。

仏教的輪廻観との関連

多くの評論家や研究者が、このわらべ唄に仏教的な輪廻観を見出しています。

「生まれて 育って 死んだとて」という部分は、生老病死という仏教の四苦を想起させますね。

しかし、仏教が苦からの解脱を目指すのに対し、このわらべ唄は「せんぐり いのちが よみがえる」と、輪廻そのものを肯定的に捉えています。

ここに高畑監督独自の生命観があると指摘する声もあります。

「天女の歌」との関連性

わらべ唄と並んで重要なのが「天女の歌」です。

これも高畑監督が作詞作曲したもので、歌詞は「まつとしきかば 今かへりこむ」となっています。

これは百人一首の句を基にしており、「本当に待っていてくれるなら今帰る」という意味ですね。

わらべ唄が地球への憧れを歌うのに対し、天女の歌は月への帰還を歌う。

この二つの歌の対比が、かぐや姫の引き裂かれた心を表現しているという考察も多く見られます。

主題歌「いのちの記憶」との繋がり

映画の主題歌「いのちの記憶」は、二階堂和美さんが作詞作曲し、歌唱も担当しています。

この曲の歌詞には「いまのすべてが未来の希望」というフレーズがあり、わらべ唄の「いのちが よみがえる」というテーマと響き合っていますね。

別れと記憶の永遠性を歌う主題歌と、生命の循環を歌うわらべ唄は、異なる角度から同じテーマを描いているとも言えます。

2013年の公開時にCD化された主題歌は好評を博し、今でも多くの人に愛されています。

現在も続く議論と考察

2013年の公開から10年以上経った現在でも、このわらべ唄についての考察ブログや動画は増え続けています。

「せんぐり」という言葉の選択の意味、水車のメタファー、陰音階の使用など、音楽的・文学的な分析も盛んですね。

また、高畑勲監督の他の作品との比較研究も行われており、監督の一貫した生命観が浮かび上がってきています。

まとめ

『かぐや姫の物語』のわらべ唄は、高畑勲監督が作詞作曲したオリジナル楽曲で、生命の循環と輪廻転生をテーマにしています。

歌詞は「鳥 虫 けもの 草 木 花」から始まり、「せんぐり いのちが よみがえる」という言葉で締めくくられ、有限な命の美しさと生きる手応えの大切さを表現しています。

この歌は単なる劇中歌ではなく、かぐや姫が地球に憧れた理由であり、物語全体のテーマを象徴する重要な要素なんですね。

京言葉の「せんぐり」を使い、水車のように回る生命の輪を描いたこの歌には、死があるからこそ生が輝くという高畑監督の哲学が込められています。

月の清浄だけれど感情のない世界と、地球の苦しみもあるけれど生きている実感のある世界。

わらべ唄は、そのどちらが良いかという二者択一ではなく、命あるものすべてが巡る自然の摂理の美しさを歌っているのです。

もう一度、映画を観てみませんか

このわらべ唄の意味を知った今、もう一度『かぐや姫の物語』を観てみると、また違った感動があるかもしれませんよ。

幼いかぐや姫が山で無邪気に歌うシーン、その歌が物語全体を貫くテーマになっていること、そして最後に彼女が地球に残したかった想い。

すべてが繋がって見えてくるはずです。

「せんぐり いのちが よみがえる」という言葉を胸に、私たちも日々の生活の中で、生きている手応えを大切にしていきたいですね。

散る花も、巡る季節も、そして私たち自身の人生も、すべてがかけがえのない一瞬の輝きなのですから。

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