
スタジオジブリの高畑勲監督が手がけた『かぐや姫の物語』は、日本最古の物語『竹取物語』を美しい水彩画のようなタッチで描いた作品ですよね。
特にエンディングシーンは、多くの観客の心に深く刻まれる印象的なものとなっています。
かぐや姫が月へと帰っていくラストシーンには、どのような意味が込められているのでしょうか。
この記事では、『かぐや姫の物語』のエンディングについて、シーンの詳細から涙の理由、原作との違いまで詳しく解説していきます。
かぐや姫の物語のエンディングは月への帰還

『かぐや姫の物語』のエンディングは、8月15日の満月の夜、天人たちがかぐや姫を迎えに来て、姫が月へと帰っていくというシーンで幕を閉じます。
天人たちは雲に乗って翁の屋敷を訪れ、警備をしていた武士たちを未知の力で眠らせてしまいます。
そして天人はかぐや姫の正気を失わせて、その体を雲の上に招き寄せるのです。
正気を取り戻したかぐや姫は、天人(月の王)に羽衣をまとう前の猶予を願い、翁と媼に泣きながら別れを告げます。
最後に羽衣をまとうことで、かぐや姫は地上での記憶を失い、月へと帰っていくのです。
なぜかぐや姫は月へ帰らなければならなかったのか

かぐや姫が地上に降りた理由
かぐや姫が月から地上に降りてきたのには、深い理由がありました。
月では何不自由なく暮らしていたかぐや姫ですが、煩悩も感情もない完璧な世界に息苦しさを感じていたとされています。
地上の人間たちが喜怒哀楽に満ちた生き方をしている様子を見て、かぐや姫は地上での生活に憧れを抱いたのです。
そして罪を犯した結果、地上に落とされることになりました。
月からの迎えが来た背景
かぐや姫が地上で過ごせる期間には限りがありました。
月での罪を償うための修行期間が終われば、再び月へ戻らなければならない定めだったのです。
帝からの求婚を断り、自分の本当の居場所がどこにあるのか悩んだかぐや姫は、無意識のうちに月へ助けを求めてしまいます。
その思いが月に届いてしまったことで、予定よりも早く迎えが来ることになったとされています。
羽衣がもたらす記憶の消失
天人が持ってきた羽衣には特別な力がありました。
この羽衣をまとうと、地上での記憶や感情がすべて消えてしまうのです。
つまり、翁や媼との思い出、捨丸との淡い恋心、地上で経験したすべての喜びや悲しみが失われてしまいます。
だからこそかぐや姫は、羽衣をまとう前に最後の別れを告げようとしたのですね。
しかし天人は容赦なく、かぐや姫に羽衣をまとわせます。
羽衣をまとった瞬間、かぐや姫の表情から感情が消え、月の住人としての無表情な顔に変わってしまうのです。
エンディングシーンの詳細と演出
天人たちの到来シーン
満月の夜、空から降りてくる天人たちの描写は圧巻です。
雲に乗った天人たちは、神々しい光と音楽に包まれながらゆっくりと翁の屋敷に近づいてきます。
翁は必死にかぐや姫を守ろうとし、多くの武士たちを配置して警備を固めていました。
しかし天人たちの持つ超自然的な力の前では、人間の力は全く無力でした。
武士たちは次々と眠り込んでしまい、翁も動けなくなってしまいます。
別れのシーンの感動
正気を取り戻したかぐや姫が、翁と媼に最後の別れを告げるシーンは、作品の中でも特に感動的な場面です。
かぐや姫は涙を流しながら、育ててくれた両親への感謝の気持ちを伝えます。
「お父様、お母様、私はここで育ててもらって本当に幸せでした」という言葉は、多くの観客の涙を誘いました。
翁も媼も、愛する娘を失う悲しみに打ちひしがれながらも、かぐや姫の幸せを願うしかありませんでした。
月への上昇シーンの美しさ
羽衣をまとったかぐや姫が、雲に乗って月へと上昇していくシーンは視覚的にも美しく描かれています。
高畑監督独特の水彩画のようなタッチが、幻想的な雰囲気を生み出しています。
かぐや姫は一度だけ地上を振り返り、涙を流しながら去っていきます。
この最後の涙には、様々な解釈があるのです。
かぐや姫が流した涙の意味とは
別離の悲しみという解釈
最もシンプルな解釈は、愛する人たちとの別れを悲しむ涙というものです。
育ててくれた翁と媼、幼馴染の捨丸、そして地上で出会ったすべての人々との別れ。
これから羽衣の力で記憶が消えてしまうことを知っているからこそ、最後に感じる人間らしい感情としての悲しみが涙となって現れたという見方です。
仏教的観点からの解釈
より深い解釈として、仏教的な観点からの考察もあります。
羽衣をまとったかぐや姫には、もはや執着や煩悩がありません。
それにもかかわらず涙を流したのは、地上の人間たちが煩悩に満ちた苦しい生き方をしていることへの慈悲心からだとされています。
悟りを開いた者が、まだ苦しみの中にいる衆生を憐れむように、かぐや姫は地上の人々を思って涙したという解釈ですね。
この解釈によれば、あの涙は個人的な感情ではなく、より普遍的な慈しみの表れということになります。
地上での経験への名残
もう一つの解釈として、地上での生活への名残という見方もあります。
月では味わえなかった喜怒哀楽、四季の美しさ、人間関係の温かさ。
それら全てを失うことへの寂しさが、最後の涙として現れたという考え方です。
完璧だけれど感情のない月の世界と、不完全だけれど生き生きとした地上の世界。
かぐや姫は地上での生活こそが本当に求めていたものだったと気づいたからこその涙かもしれません。
SNSや映画レビューでの反応
エンディングに感動した声
SNSでは、『かぐや姫の物語』のエンディングに深く感動したという声が多く寄せられています。
「最後のシーンで号泣した」「かぐや姫の涙の意味を考えると胸が締め付けられる」といった感想が見られます。
特に親子関係について考えさせられたという意見も多く、「親として観ると翁と媼の気持ちが痛いほどわかる」という声もあります。
また「何度観ても泣いてしまう」という繰り返し鑑賞しているファンの声も目立ちますね。
切なさを感じた意見
エンディングの切なさについて語る声も数多くあります。
「幸せになってほしかったのに、結局月に帰ってしまう結末が切ない」という感想や、「捨丸との再会シーンからのラストが辛すぎる」という意見も見られます。
羽衣をまとって記憶を失う設定について、「記憶が消えてしまうのが残酷」「地上での経験が無駄になってしまうようで悲しい」という声もありました。
ハッピーエンドではない終わり方だからこそ、深く心に残る作品として評価されているのです。
音楽への評価
エンディングを彩る音楽についても高い評価が寄せられています。
天人たちが奏でる音楽や、エンドロールで流れる「いのちの記憶」という楽曲が、物語の余韻を深めているという意見が多数あります。
「音楽が美しすぎて涙が止まらない」「映像と音楽の調和が完璧」といった声が見られます。
二階堂和美さんが歌う「いのちの記憶」は、かぐや姫の心情を代弁するような歌詞として、多くのファンに愛されています。
原作『竹取物語』との違い
基本的なストーリーラインの踏襲
『かぐや姫の物語』は、基本的には原作の『竹取物語』に忠実な作りとなっています。
竹の中から発見されること、五人の貴公子への難題、帝からの求婚、そして月への帰還という大筋は変わっていません。
しかし高畑監督は、原作を現代的な視点で再解釈し、かぐや姫の内面や感情をより深く掘り下げています。
エンディングシーンの演出の違い
原作では、月からの使者が来た際のやりとりがより簡潔に描かれています。
映画版では、かぐや姫の葛藤や別れの場面がより感情的に、丁寧に描写されているのが特徴です。
また原作では、天人が持ってきた物が「ツバメの糞」とされていますが、映画版ではこれが「卵から孵化したばかりの雛」に変更されています。
この変更により、生命の誕生という新たなテーマが加えられているとも解釈できますね。
かぐや姫のキャラクター描写
原作の『竹取物語』では、かぐや姫は比較的受動的な存在として描かれています。
一方、映画版のかぐや姫は、自分の意志で行動し、感情を表現する主体的なキャラクターとして描かれているのです。
地上での生活を心から楽しみ、自然の中を駆け回り、人々と交流する姿は、映画版ならではの魅力です。
だからこそ、最後に月へ帰らなければならない運命が、より悲劇的に感じられるのですね。
高畑勲監督が込めたメッセージ
生きることの意味
高畑監督は、この作品を通して「生きることの意味」を問いかけています。
完璧で苦しみのない月の世界と、不完全だけれど生命力に溢れた地上の世界。
どちらが本当の幸せなのか、人間らしく生きるとはどういうことなのかを観客に考えさせる作りになっています。
かぐや姫が地上で感じた喜びや悲しみ、怒りや愛情は、すべて人間らしい感情です。
それらを失ってしまう結末だからこそ、今ここで生きていることの尊さが際立つのですね。
親子の絆
翁と媼、そしてかぐや姫の関係は、作品の重要なテーマの一つです。
翁はかぐや姫を高貴な姫として育てようとしますが、それがかぐや姫の本当の幸せではありませんでした。
善意からの行動が、必ずしも相手のためにならないという親子関係の難しさが描かれています。
それでも最後には、お互いへの深い愛情が確認される感動的な別れのシーンがあります。
血のつながりがなくても、育てた恩と愛情は本物だったということですね。
自然と人間の関係
作品全体を通して、自然の美しさが丁寧に描かれています。
かぐや姫が一番生き生きとしているのは、山里で自然と触れ合っている時です。
都の豪華な屋敷よりも、素朴な山里での生活の方が、かぐや姫にとっては幸せだったのです。
現代社会への警鐘として、物質的な豊かさよりも精神的な豊かさの大切さを訴えているとも受け取れます。
エンディング後の解釈と考察
かぐや姫の記憶は本当に消えたのか
羽衣をまとったかぐや姫の記憶が完全に消えたのかどうかは、議論の余地があります。
表面的には感情を失い、月の住人としての無表情な顔になりましたが、心の奥底には何か残っているのではないかという解釈もあるのです。
最後に流した涙が、その証拠かもしれません。
完全に記憶が消える前の、最後の人間らしい感情の発露だったのか、それとも記憶が消えた後でも残る何かがあったのか。
観る人によって解釈が分かれる余白が残されているのですね。
翁と媼のその後
映画では描かれていませんが、かぐや姫を失った翁と媼のその後も気になるところです。
原作では、かぐや姫が残していった不老不死の薬を、帝が富士山で焼いたという記述があります。
翁と媼も、娘を失った悲しみを抱えながら、残りの人生を送ったことでしょう。
しかし二人には、かぐや姫と過ごした幸せな時間の記憶が残っています。
その記憶こそが、二人の人生を豊かにした宝物だったのではないでしょうか。
捨丸との関係
幼馴染の捨丸との関係も、物語の重要な要素です。
再会した時、二人は月夜の空を飛び、束の間の幸せな時間を過ごします。
しかしそれも夢のような一瞬で、かぐや姫は現実に引き戻されます。
もしかぐや姫が月に帰らなければ、捨丸と一緒になれたかもしれないという「もしも」の可能性が観客の心を揺さぶります。
しかし運命は変えられず、二人は永遠に別れることになったのです。
まとめ:かぐや姫の物語のエンディングが伝えるもの
『かぐや姫の物語』のエンディングは、かぐや姫が8月15日の満月の夜に天人たちによって月へ連れ戻されるという結末です。
羽衣をまとう前に、かぐや姫は翁と媼に涙ながらの別れを告げ、最後に地上を振り返って涙を流します。
この涙には、別離の悲しみ、地上の人々への慈悲、そして人間らしく生きることへの名残など、様々な解釈が可能です。
高畑勲監督は、原作『竹取物語』を現代的に再解釈し、生きることの意味や親子の絆、自然と人間の関係といったテーマを深く掘り下げました。
ハッピーエンドではない結末だからこそ、観る人の心に深く刻まれ、何度も見返したくなる作品となっているのです。
エンディングの美しい映像と音楽、そして感動的な別れのシーンは、多くの観客の涙を誘い、SNSでも高く評価されています。
『かぐや姫の物語』のエンディングは、単なる物語の終わりではなく、私たち自身の人生について考えるきっかけを与えてくれます。
完璧ではないけれど、喜びも悲しみもある人間らしい生き方の尊さ。
愛する人との別れの切なさと、それでも続いていく時間の流れ。
もしまだ観ていないなら、ぜひこの美しく切ない物語を体験してみてください。
そして既に観たことがある方も、この記事を読んで改めて作品を見直すと、新たな発見があるかもしれませんよ。
かぐや姫が最後に流した涙の意味を、あなた自身の心で感じ取ってみてくださいね。