かぐや姫の物語のクズって誰のこと?

かぐや姫の物語のクズって誰のこと?

スタジオジブリの名作『かぐや姫の物語』を観た後、SNSや掲示板で「あのキャラ、クズすぎる」という意見を目にしたことはありませんか?

この作品には複数のキャラクターが登場しますが、特に「クズ」と批判されがちなのが捨丸という人物です。

幼なじみとの再会、妻子がいるのに揺れる心、そして衝動的な行動……。

なぜ捨丸はこれほど批判されるのか、一方で擁護する声もあるのはなぜなのか。

この記事では、捨丸が「クズ」と言われる理由と、その背景にある作品のテーマについて詳しく解説していきます。

結論:「クズ」と言われるのは捨丸

結論:「クズ」と言われるのは捨丸

『かぐや姫の物語』で「クズ」と批判されることが多いのは、かぐや姫の幼なじみである捨丸です。

捨丸は既に妻子持ちであるにもかかわらず、再会したかぐや姫に対して「一緒に逃げよう」と誘うシーンがあります。

この行動が、現代の倫理観から見て「家庭を持った人間として無責任すぎる」「妻子より自分の感情を優先している」と受け取られ、「クズ」「最低」という評価につながっているのです。

Yahoo!知恵袋などのQ&Aサイトや映画レビューサイトでも、捨丸の行動に対する批判的な意見は数多く見られます。

ただし、捨丸を一方的に「クズ」と断じることに対する擁護意見や、異なる解釈も存在しており、視聴者の間で評価が大きく分かれているキャラクターでもあります。

なぜ捨丸は「クズ」と言われるのか

なぜ捨丸は「クズ」と言われるのか

妻子持ちでありながらかぐや姫を誘う

捨丸が最も批判される理由は、既に家庭を持っているにもかかわらず、かぐや姫と逃げようとする点です。

物語の中盤、都での窮屈な生活に疲れ果てたかぐや姫は、幼少期を過ごした山里へ戻ります。

そこで偶然、かつての遊び仲間だった捨丸と再会するのです。

再会を喜ぶかぐや姫でしたが、捨丸には既に妻と子どもがいることを知り、動揺します。

しかし捨丸は、かぐや姫への想いが抑えきれず、「一緒に逃げよう」と提案してしまうのです。

この場面での捨丸の言動が、視聴者から「家庭を放棄しようとしている」と厳しく批判される最大のポイントとなっています。

空を飛ぶシーンの美しさと倫理的問題の対比

捨丸とかぐや姫が空を飛ぶシーンは、映像的には非常に美しく、幻想的な名場面として知られています。

しかし、映像の美しさと行動の倫理的問題が対照的であることが、視聴者の複雑な感情を生み出しているのです。

「あんなに美しいシーンなのに、よく考えたら不倫未遂じゃないか」という違和感を抱く人が多く、それが「クズ」という言葉での批判につながっています。

芸術的な演出と登場人物の倫理的問題が同時に存在することで、視聴者は単純に感動できない複雑な気持ちになるのですね。

現代的な価値観とのギャップ

『かぐや姫の物語』は平安時代の『竹取物語』をベースにしていますが、2013年に公開された現代の作品です。

平安時代であれば、貴族が複数の女性と関係を持つことは珍しくありませんでしたし、結婚の概念も現代とは大きく異なっていました。

しかし現代の視聴者は、「結婚したら配偶者と子どもに責任を持つべき」という価値観で作品を見ています。

この価値観のギャップが、捨丸への批判を強めている要因の一つです。

時代背景を考慮しても、現代の倫理観から見れば捨丸の行動は擁護しにくいものとして映ってしまうのです。

責任からの逃避と自己中心性

捨丸の行動は、単に「昔の恋人との再会」という以上に、現実の責任から逃げようとしているように見えます。

山里での生活は決して楽ではなく、妻子を養う責任もあるはずです。

そんな中、かぐや姫という「過去の理想」が目の前に現れたことで、捨丸は現実逃避の衝動に駆られます。

「今の生活が辛いから、昔の良かった時代に戻りたい」という気持ちは理解できるものの、それを実行に移そうとする点が問題視されているのです。

妻子の存在を考えず、自分の感情だけで動こうとする姿勢が、「自己中心的」「無責任」と評価される理由となっています。

捨丸を擁護する意見も存在する

葛藤する人間として描かれている

捨丸を一方的に「クズ」と断じることに対して、擁護する声も少なくありません。

擁護派の意見としては、捨丸自身も現実と理想の間で苦しんでいる被害者的存在だという解釈があります。

実際、捨丸は「一緒に逃げよう」と誘った後、すぐに現実に引き戻されます。

空を飛んでいる最中に我に返り、「俺には妻子がいる」という現実を思い出すのです。

この描写は、捨丸が完全に無責任な人間ではなく、責任と感情の間で引き裂かれている複雑な心理を持つ人物として描かれていることを示しています。

作品のテーマを体現する存在

『かぐや姫の物語』全体のテーマは、「この世のしがらみと自然への回帰願望」です。

かぐや姫は都での貴族生活に縛られ、本当の自分を失っていきます。

捨丸との再会と「逃げたい」という衝動は、かぐや姫自身の「自由になりたい」という願望を象徴的に表現したシーンとも解釈できます。

この視点から見ると、捨丸は単なる「クズな男」ではなく、人間の普遍的な弱さや欲求を体現するキャラクターとして機能していると言えます。

作品全体が「逃避願望」を肯定しているわけではなく、むしろ現実に引き戻されることで、人間の限界や社会の制約を描いているのです。

一瞬の衝動であり実行はしていない

重要なポイントとして、捨丸は実際には家庭を捨てていません

「一緒に逃げよう」という言葉は発したものの、それは一瞬の衝動であり、すぐに現実に戻されます。

空を飛ぶシーンも、かぐや姫の不思議な力によるもので、現実世界で実際に起きたことではないという解釈もあります。

夢のような体験の後、捨丸は妻子のもとへ帰っていくのです。

「悪いことを考えただけで、実行していないのに『クズ』と呼ぶのは厳しすぎる」という擁護意見は、この点を根拠にしています。

人間の弱さを描いたリアリズム

捨丸の描写は、人間の弱さや不完全さをリアルに表現しているとも言えます。

誰もが理想と現実の間で揺れ動き、時には間違った選択をしそうになることがあります。

完璧な人間などおらず、誘惑に負けそうになる瞬間は誰にでもあるものです。

捨丸の行動を批判する人々も、実は自分の中にある同じような弱さから目を背けたくて、強く批判しているのかもしれません。

高畑勲監督は、綺麗事ではない人間の本質を描くことで知られており、捨丸もその演出意図の一つと考えられます。

SNSや掲示板での具体的な意見

「捨丸は最低」という批判の声

Twitter(現X)や映画レビューサイトでは、捨丸に対する厳しい意見が数多く見られます。

代表的な批判意見としては、以下のようなものがあります。

  • 「妻子持ちなのに昔の女に『逃げよう』とか言うのクズすぎる」
  • 「捨丸のせいであの美しいシーンが台無し。不倫未遂じゃん」
  • 「かぐや姫は月に帰らなきゃいけないのに、捨丸の自己満足に付き合わされてかわいそう」
  • 「家に残された妻と子どもの気持ちを考えると胸が痛む」

特に女性視聴者からは、妻の立場に立った批判が多く見られる傾向にあります。

「自分が捨丸の妻だったらと思うと許せない」という共感的な怒りが、強い批判につながっているようです。

「捨丸も被害者」という擁護の声

一方で、捨丸を擁護する意見も根強く存在します。

  • 「捨丸だって苦しかったんだよ。初恋の人が突然目の前に現れたら誰でも揺れる」
  • 「実際には逃げてないし、すぐに我に返ってる。思っただけで行動に移してないから許容範囲」
  • 「あのシーンは現実逃避の虚しさを描いてるんだから、捨丸個人を責めるのは違う」
  • 「平安時代の価値観と現代の価値観を混同して批判するのはフェアじゃない」

擁護派の多くは、文脈や作品全体のテーマを理解した上で、捨丸の行動を評価すべきだと主張しています。

「高畑監督らしい人間描写」という評価

映画評論家や熱心なジブリファンの間では、捨丸の描写を高畑勲監督らしいリアリズムとして評価する声もあります。

  • 「綺麗事じゃない人間の本質を描くのが高畑監督の真骨頂。捨丸はその象徴」
  • 「善人も悪人もいない。みんな弱くて不完全な人間だという普遍的なテーマが素晴らしい」
  • 「賛否両論を生むキャラクターを作れるのが本物のクリエイター。議論されること自体が成功」

この視点からは、捨丸が「クズ」かどうかという二元論ではなく、人間の複雑さを表現したキャラクターとして捉えられています。

視聴者に強い感情を引き起こし、議論を生むこと自体が、作品の成功を示しているという見方です。

他に「クズ」と言われるキャラクターはいるのか

翁(かぐや姫の育ての親)への批判

捨丸ほどではありませんが、かぐや姫を育てた翁も批判されることがあります。

翁は竹から生まれたかぐや姫を見つけ、娘として大切に育てます。

しかし、竹から金や財宝が次々と出てくると、翁は「この子は高貴な姫として育てるべきだ」と考え、かぐや姫の意思を無視して都へ連れて行きます。

山里で自由に遊んでいたかぐや姫は、都での窮屈な貴族生活を強いられ、次第に生気を失っていきます。

翁は善意から行動していますが、娘の幸せよりも自分の理想を押し付けているという点で批判されることがあります。

「親の見栄や世間体のために子どもを犠牲にしている」という現代的な問題とも重なり、共感できないという声も少なくありません。

帝(みかど)の横暴な振る舞い

作中に登場する帝も、現代の倫理観から見れば問題のある人物です。

帝はかぐや姫の美しさの噂を聞きつけ、強引に屋敷を訪れます。

かぐや姫が拒否しているにもかかわらず、無理やり抱きしめようとするシーンがあり、これは明らかにハラスメント行為です。

権力を背景にした横暴な振る舞いは、「クズ」というより「パワハラ」「セクハラ」として批判されています。

ただし、帝は平安時代の権力者として描かれており、当時の価値観では許容されていた行動だったという時代背景も考慮する必要があります。

求婚者たちの嘘と見栄

かぐや姫に求婚する5人の貴族たちも、決して立派な人物とは言えません。

かぐや姫は彼らに難題を出しますが、貴族たちは誠実に挑戦するのではなく、偽物を用意したり嘘をついたりします。

見栄とプライドだけで動き、本当の誠実さを欠いた彼らの姿も、「クズ」とまでは言われませんが、批判の対象にはなっています。

ただし、彼らは物語上のコミカルな脇役として描かれており、捨丸のように深刻な議論を呼ぶキャラクターではありません。

作品全体が問いかけるもの

自由と責任のジレンマ

『かぐや姫の物語』は、「自由に生きたい」という願望と「社会的責任」の対立を描いた作品です。

かぐや姫は山里での自由な生活を望んでいましたが、翁の期待や社会の規範によって都での生活を強いられます。

捨丸も同様に、自由への憧れと家庭への責任の間で揺れ動きます。

この普遍的なテーマは、現代を生きる私たちにも深く共感できるものですよね。

「やりたいことがあるけれど、立場上できない」「自由になりたいけれど、責任がある」という葛藤は、誰もが経験するものです。

理想と現実のギャップ

捨丸とかぐや姫が空を飛ぶシーンは、理想の世界への一瞬の逃避を表現しています。

しかし、その夢はすぐに終わり、二人は再び厳しい現実へと引き戻されます。

この演出は、「現実逃避は一時的な慰めにしかならない」というメッセージとも受け取れます。

美しい理想を描きながらも、それが実現不可能であることを同時に示すことで、作品に深みと複雑さが生まれているのです。

時代と倫理観の変化

『かぐや姫の物語』の議論は、時代によって倫理観が変わるという事実も浮き彫りにしています。

平安時代の価値観と現代の価値観は大きく異なり、当時は許容されていたことが現代では批判される場合があります。

逆に、現代の倫理観で過去の作品や人物を裁くことの是非についても、考えさせられる作品です。

捨丸への評価が分かれるのも、この「どの時代のどの価値観で判断するか」という視点の違いが大きく影響しています。

まとめ:捨丸は単純な「クズ」ではない

『かぐや姫の物語』で「クズ」と批判されがちなのは、妻子持ちでありながらかぐや姫と逃げようとした捨丸です。

彼の行動は、現代の倫理観から見れば確かに無責任で自己中心的に映ります。

しかし同時に、捨丸は理想と現実の間で苦しむ普通の人間として描かれており、作品のテーマを体現する重要なキャラクターでもあります。

「クズ」と断じる声も、「仕方ない」と擁護する声も、どちらも視聴者の真摯な反応です。

高畑勲監督は、綺麗事ではない人間の本質を描くことで、私たちに深い問いを投げかけています。

自由と責任、理想と現実、感情と倫理――これらのジレンマは、誰もが抱えるものですよね。

捨丸というキャラクターを通して、私たち自身の弱さや矛盾にも向き合うことができるのです。

改めて作品を観てみませんか

『かぐや姫の物語』は、一度観ただけでは捉えきれない深さを持った作品です。

捨丸が「クズ」かどうかという議論を超えて、人間の複雑さや社会の制約、自由への憧れといった普遍的なテーマが描かれています。

もしまだ観たことがない方は、ぜひ一度ご覧になってみてください。

すでに観た方も、今回の視点を踏まえて改めて観ると、新しい発見があるかもしれません。

捨丸への評価は人それぞれで正解はありませんが、だからこそ議論する価値がある作品なのです。

あなた自身がどう感じるか、それが一番大切ですよね。

ぜひ、ご自身の目で確かめて、あなたなりの答えを見つけてみてください。

キーワード: かぐや姫の物語 クズ