かぐや姫の物語のトラウマって何?

かぐや姫の物語のトラウマって何?

スタジオジブリ作品の中でも、『かぐや姫の物語』は特別な存在感を放っていますよね。

高畑勲監督による美しい水彩画のような映像表現が魅力的な一方で、「トラウマになった」「怖い」「二度と見たくない」という感想も多く寄せられています。

子ども向けのアニメーションとして鑑賞したはずなのに、心に深い傷のような印象を残してしまうのはなぜなのでしょうか。

この記事では、『かぐや姫の物語』がなぜ多くの視聴者にトラウマを与えてしまうのか、その理由と具体的な要素について詳しく解説していきますね。

映画のラストシーンが持つ特別な恐怖性や、登場人物たちの生々しい人間性、そして視聴者の心理に訴えかける演出の数々を紐解いていきましょう。

『かぐや姫の物語』のトラウマ要素とは

『かぐや姫の物語』のトラウマ要素とは

『かぐや姫の物語』のトラウマ要素は、主にラストシーンにおける「死」の表現と、登場人物たちの生々しい人間性にあります。

特に月からのお迎えが来るシーンでは、かぐや姫が泣き叫び帰りたくないと懇願しているにもかかわらず、抗う術なく連れ去られる描写が視聴者に強烈な印象を与えているのです。

羽衣をかけられた瞬間、かぐや姫の表情から感情がすっと抜け落ちるように見える演出は、「死」そのもののメタファーとして機能しています。

また、翁(おきな)や捨丸といった登場人物たちの行動が、視聴者の倫理観や感情を激しく揺さぶることも大きな要因となっていますね。

なぜ『かぐや姫の物語』はトラウマになるのか

なぜ『かぐや姫の物語』はトラウマになるのか

ラストシーンが描く「死」の恐怖

映画のクライマックスで描かれる月からのお迎えのシーンは、表面的には美しく幻想的な映像ですが、その本質は極めて残酷です。

かぐや姫は明確に「帰りたくない」という意思を示しているのに、その意思は完全に無視されてしまいます。

天人たちが奏でる音楽は神々しく、周囲の人々を恍惚とさせますが、これはかぐや姫にとっては洗脳のようなものとして機能しているのです。

感情を奪われる恐怖

羽衣をかけられた瞬間、かぐや姫の表情が一変するシーンは多くの視聴者の記憶に残っています。

それまで激しく泣いていた姫の顔から、感情が完全に消え去り、無表情になってしまうのです。

しかし、よく見ると目には涙が浮かんだまま――この矛盾した描写が、自分という存在が消されていく恐怖を視覚的に表現しています。

記憶を失い、感情を失い、地上での自分ではなくなってしまう。

これは「死」よりもある意味で恐ろしい、存在の消滅を意味しているのですね。

逃れられない運命の残酷さ

どれだけ抵抗しても、どれだけ愛する人たちがいても、運命には逆らえないという絶望感がこのシーンには込められています。

帝も、翁も、媼(おうな)も、捨丸も、誰一人としてかぐや姫を救うことができません。

この「何をしても無駄」という無力感が、視聴者に深いトラウマを植え付けるのです。

特に子どもの頃に鑑賞した人は、この理不尽さに強いショックを受けたという声が多く聞かれます。

登場人物たちの生々しい人間性

『かぐや姫の物語』が視聴者に「ひどい」「つらい」と感じさせるもう一つの理由は、登場人物たちの人間臭さにあります。

彼らは決して悪人ではありませんが、その行動は時に倫理的に問題があり、視聴者の感情を激しく揺さぶるのです。

翁(おきな)の善意という名の押し付け

かぐや姫を育てた翁は、姫を心から愛している優しい父親です。

しかし彼は、かぐや姫が本当に望んでいることを理解しようとせず、自分が信じる「正しさ」を押し付けてしまいます。

姫は山での自由な暮らしを望んでいたのに、翁は都に連れて行き、高貴な姫として育てようとします。

「姫のため」という言葉を繰り返しながら、実際には姫の意思を無視し続ける姿は、多くの視聴者に「毒親」のような印象を与えています。

愛情深いからこそ余計に残酷という、複雑な人間関係の暗部が描かれているのですね。

捨丸の裏切りと未練

幼馴染の捨丸は、かぐや姫にとって山での自由な暮らしの象徴のような存在でした。

しかし再会した捨丸には妻子がおり、それにもかかわらず姫と駆け落ちを未遂してしまいます。

この行動は多くの視聴者から「クズ」「ひどい」という批判を集めています。

捨丸自身も複雑な感情を抱えているのでしょうが、既婚者としての責任を放棄しようとした行動は、倫理的に受け入れがたいものです。

かぐや姫が心の拠り所とした相手すら、結局は裏切るような形になってしまうという残酷さが、物語をより辛いものにしています。

求婚者たちの欲望

五人の求婚者たちは、かぐや姫の美しさに惹かれて結婚を申し込みますが、その動機は純粋な愛情ではありません。

彼らは姫を「手に入れたい」という所有欲で動いており、姫の意思や気持ちは二の次です。

難題を出されると嘘をついたり、偽物を用意したりする姿は、人間の醜さを露骨に描いています。

帝に至っては、姫が拒絶しているのに無理やり抱きしめようとするなど、パワーハラスメント的な行動を取ります。

これらの描写は、現代の視点から見るとより問題性が浮き彫りになり、視聴者に不快感を与える要因となっているのです。

美しい映像と残酷な内容のギャップ

『かぐや姫の物語』の映像表現は、水彩画のような柔らかいタッチで描かれ、非常に美しいものです。

しかし、その美しい映像で描かれている内容は、人間の欲望や絶望、理不尽な運命といった残酷なものなのです。

このギャップが、視聴者に独特の不安感やトラウマを与える要因となっています。

特に激しい感情表現のシーンでは、絵のタッチが荒々しく変化し、まるでかぐや姫の心の叫びが画面から飛び出してくるような演出がなされていますね。

視聴者が感じた具体的なトラウマ体験

月のお迎えシーンへの恐怖

多くの視聴者が最もトラウマを感じたと語るのが、月からのお迎えが来るシーンです。

「天人たちの笑顔が怖い」「音楽が恐ろしく感じた」「幸せそうに見えるのに絶望的」といった感想が数多く寄せられています。

あるSNSユーザーは「子どもの頃に見て、その夜悪夢を見た。大人になって見返しても、やはり怖い」と投稿していました。

別の視聴者は「かぐや姫が泣き叫んでいるのに、周りの人たちが恍惚とした表情で笑っているのが怖すぎる。まるでホラー映画のよう」と語っています。

また「羽衣をかけられて感情を失った後の無表情が忘れられない。自分が自分でなくなる恐怖を感じた」という声もありました。

登場人物への怒りと悲しみ

登場人物たちの行動に対する視聴者の反応も強烈です。

「翁がかぐや姫の気持ちを無視し続けるのが見ていて辛かった。愛情があるからこそ余計に残酷」という意見が多く見られます。

捨丸に対しては「妻子持ちなのに何をしているんだと思った。かぐや姫が可哀想すぎる」「幼馴染という大切な存在まで裏切るような形になって、救いがなさすぎる」といった批判的な声が目立ちますね。

ある視聴者は「登場人物たちが誰も姫を救えないどころか、むしろ苦しめている。善意の押し付けや欲望に振り回される姫が不憫で、見ていて胸が苦しくなった」と述べています。

「帝が姫を無理やり抱きしめようとするシーンは、今見るとセクハラそのもので気持ち悪い」という現代的な視点からの批判もありました。

物語全体の絶望感

『かぐや姫の物語』には、従来のジブリ作品のような希望や救済がほとんど描かれていません。

「最後まで見ても救いがない。ハッピーエンドではないどころか、絶望しかない」という感想が非常に多いのです。

「かぐや姫は結局、自分の意思では何も選べず、運命に流されるだけだった。あまりにも理不尽で、見終わった後にずっと暗い気持ちが残った」と語る人もいます。

別の視聴者は「地上での記憶を全て失って月に帰る結末は、生きた証が全て消されるようで恐ろしい。死よりも残酷な気がした」と述べています。

また「美しい映像と音楽なのに、内容は絶望的。このギャップが余計に心に刺さって、しばらく引きずった」という意見も見られました。

中には「映画館で見て、終わった後に周りの人たちが皆沈黙していた。誰も言葉を発せないくらいの衝撃だった」というエピソードもあります。

子ども時代に見た影響

特に子どもの頃に鑑賞した人からは、長期的な影響を受けたという声が多く聞かれます。

「小学生の時に見て、その後しばらく夜が怖くなった。月を見るとあのお迎えシーンを思い出してしまう」という体験談もありました。

「大人になってから見返したら、子どもの頃とは違った意味で怖かった。翁の行動が毒親そのもので、より深く理解できた分、余計に辛くなった」という声もあります。

ある視聴者は「ジブリだから安心して子どもに見せたら、子どもが泣き出してしまった。トラウマになっていないか心配」と親としての不安を吐露していました。

『かぐや姫の物語』の作品情報と背景

作品の基本データ

『かぐや姫の物語』は、2013年11月23日に公開されたスタジオジブリ制作のアニメーション映画です。

監督は高畑勲で、これが彼の遺作となりました。

興行収入は約25億円とされています。

制作には8年という長い年月がかけられ、手描きによる独特の映像表現が特徴となっています。

高畑勲監督の意図

高畑勲監督は、この作品で『竹取物語』の新しい解釈を提示しようとしました。

従来の物語では語られなかった、かぐや姫の感情や内面に焦点を当て、より人間的な姫の姿を描いたのです。

監督は「かぐや姫はなぜ地球に来て、なぜ帰らなければならなかったのか」という疑問に対する答えを、この映画で示そうとしました。

その結果、非常に人間臭く、感情豊かで、時に激しく感情を爆発させる姫の姿が描かれることになったのですね。

日本の古典との違い

原典の『竹取物語』では、かぐや姫は最初から高貴で儚い存在として描かれています。

しかし本作では、山で子どもたちと遊び、泥だらけになって笑う活発な姫の姿が描かれます。

都に行ってからも、貴族としての作法に苦しみ、自由を求めて叫ぶ人間らしい姿が表現されているのです。

この「人間らしさ」が、視聴者に強い共感と同時に、深い悲しみやトラウマをもたらす要因となっています。

まとめ:『かぐや姫の物語』のトラウマの正体

『かぐや姫の物語』がトラウマになる理由は、大きく分けて三つあります。

一つ目は、ラストシーンにおける「死」のメタファーとしての恐怖表現です。

羽衣をかけられて感情を失い、存在そのものが消されていくような描写は、多くの視聴者に強烈な印象を残しました。

二つ目は、登場人物たちの生々しい人間性です。

翁の善意という名の押し付け、捨丸の裏切り、求婚者たちの欲望など、人間の醜さや複雑さが容赦なく描かれています。

三つ目は、美しい映像表現と残酷な内容のギャップです。

柔らかく美しいタッチで描かれる映像の中で展開される絶望的な物語が、視聴者の心に深い傷を残すのです。

この作品は、決して楽しいだけのエンターテインメントではありません。

人間の生と死、自由と束縛、愛と孤独といった普遍的なテーマを、痛みを伴う形で提示している作品なのですね。

それでも見る価値がある作品

確かに『かぐや姫の物語』は、トラウマになるほど辛く、苦しい物語です。

しかし、だからこそこの作品には大きな価値があるのです。

私たちは日常生活の中で、自分の本当の気持ちを押し殺したり、周囲の期待に応えようと無理をしたりすることがありますよね。

この作品は、そんな私たちに「本当に大切なものは何か」を問いかけてきます。

かぐや姫が最も幸せだったのは、山で自由に駆け回っていた子ども時代でした。

高貴な姫として扱われ、豪華な屋敷で暮らすようになってからは、姫は本当の笑顔を失っていきます。

この対比は、私たちに「幸せとは何か」を考えさせてくれるのです。

もしあなたがまだこの作品を見ていないなら、心の準備をしてからぜひ鑑賞してみてください。

そして、すでに見てトラウマになってしまった方は、時間をおいて改めて見返してみるのもいいかもしれませんね。

年齢や経験によって、この作品から受け取るメッセージは変わってくるはずです。

辛い物語ではありますが、そこには人生において本当に大切なことが詰まっています。

この作品と向き合うことは、自分自身と向き合うことでもあるのです。

キーワード: かぐや姫の物語 トラウマ