
『かぐや姫の物語』を観終わった後、あのラストシーンが忘れられないという方は多いのではないでしょうか。
特に、映画の最後に映し出される赤ちゃんの姿に、様々な想いを抱いた方もいらっしゃるでしょう。
月へ帰っていったかぐや姫の切ない物語が終わったはずなのに、なぜ最後に赤ちゃんが映るのか。
この演出には、高畑勲監督の深いメッセージが込められています。
この記事では、ラストシーンの赤ちゃんが持つ意味と、監督が伝えたかった想いについて詳しく解説していきます。
ラストの赤ちゃんは輪廻転生の象徴

『かぐや姫の物語』のラストシーンに映される赤ちゃんは、輪廻転生の暗示と希望の新たな始まりを象徴する演出とされています。
満月と竹から見つかったばかりの赤ちゃん(かぐや姫)が映し出されるこのシーンは、物語の始まりに戻るような構成になっているんですね。
高畑勲監督はこのラストシーンを「救済措置」として取り入れたと考えられており、ただ悲しいだけの別れで終わるのではなく、希望や新たな始まりを感じさせる終わり方にしたかったのです。
月へ去ったかぐや姫が地上に再び生まれてくるという循環を暗示することで、完全な悲劇ではなく、新しい可能性を示唆しているのです。
なぜラストに赤ちゃんが映されるのか

高畑勲監督の「救済措置」としての意図
高畑勲監督がラストに赤ちゃんを映した理由には、明確な意図がありました。
『かぐや姫の物語』は、地上での幸せな生活を奪われ、記憶を消されて月へ帰らなければならないという、非常に切ない物語です。
もしそのまま終わってしまえば、観客は深い悲しみだけを抱えて映画館を後にすることになってしまいます。
しかし、ラストに赤ちゃんを映すことで、「人生は続いていく」という肯定的なメッセージを伝えることができるのです。
このシーンを通じて、観た人の心に余韻を残し、完全な絶望ではなく、どこかに希望の光を見出せるような終わり方になっています。
物語の始まりへの回帰
赤ちゃんのシーンは、映画の冒頭シーンと重なる演出になっています。
翁が竹の中から小さな赤ちゃんを見つけるところから物語が始まり、ラストでも同じように赤ちゃんが映される。
この円環構造によって、終わりが新たな始まりでもあることが表現されているんですね。
物語は終わったけれど、また新しい物語が始まるかもしれない。
そんな無限の循環を感じさせる演出なのです。
記憶を失っても魂は続く
かぐや姫は月へ帰る際、地上での記憶を全て失ってしまいます。
愛した人々との思い出も、楽しかった日々も、全てが消えてしまう。
それは本当に悲しいことですが、ラストの赤ちゃんは「記憶は失われても、魂は続いていく」ことを示唆しています。
かぐや姫の本質的な部分、生きることへの渇望や喜びは、形を変えて再び地上に生まれてくるかもしれない。
そう考えると、別れは永遠の別れではなく、また会える可能性を秘めた「また逢う日まで」なのかもしれません。
東洋思想に基づく世界観
輪廻転生という概念は、仏教をはじめとする東洋思想に深く根ざしています。
人は死んでも魂は消えず、また新しい命として生まれ変わるという考え方です。
高畑勲監督は、この東洋的な世界観を『かぐや姫の物語』に取り入れることで、日本古来の物語に現代的な解釈を加えました。
原作の『竹取物語』には輪廻転生の明確な描写はありませんが、映画版ではこの要素を加えることで、より普遍的で深いテーマを表現しているのです。
視聴者やファンの様々な解釈
希望を感じたという声
2013年11月の公開から現在まで、多くの視聴者がラストの赤ちゃんのシーンについて語り続けています。
SNSでは「最初は悲しかったけど、ラストの赤ちゃんを見て少し救われた」という意見が見られます。
かぐや姫がまた地上に生まれてくる可能性を感じ取った視聴者は、完全な悲劇ではなく、どこか温かい気持ちで映画館を後にできたようです。
特に、「またこの世界に戻ってきてほしい」という願いを込めて、このシーンを受け止めた方も多いでしょう。
永遠の循環を読み取る解釈
ファンの間では、「かぐや姫は何度も地上と月を行き来しているのではないか」という考察もあります。
つまり、この物語で描かれたかぐや姫の人生は、無数にある生まれ変わりの一つに過ぎないのかもしれないという解釈です。
何度生まれ変わっても、また同じように地上の美しさに魅了され、人を愛し、そして月へ帰っていく。
そんな永遠の循環の中で、かぐや姫の魂は少しずつ成長しているのかもしれません。
翁と媼への再会の可能性
赤ちゃんのシーンを見て、「今度こそ翁と媼のもとで幸せに暮らせるのでは」と感じた視聴者もいます。
前回は翁の野心によって都へ連れて行かれ、本当の幸せを失ってしまったかぐや姫。
しかし、もし再び生まれ変わるなら、今度は違う人生を歩めるかもしれない。
山での素朴な暮らしを全うできる人生が待っているかもしれない、という希望の解釈ですね。
記憶がないことの意味を考える声
一方で、「記憶を失って生まれ変わっても、それは本当に同じ人なのか」という疑問を持つ視聴者もいます。
地上での経験や思い出が全て消えてしまうなら、それは新しい別の命であって、かぐや姫自身ではないのではないか。
この解釈は、輪廻転生という概念そのものが持つ哲学的な問いにつながります。
記憶がなくても魂が同じなら同一人物と言えるのか、それとも記憶こそがその人を形作るのか。
高畑勲監督は、あえてこうした答えの出ない問いを観客に投げかけているのかもしれません。
現代社会へのメッセージとして受け取る視点
ラストの赤ちゃんを、現代社会で生きる私たちへのメッセージとして受け取る人もいます。
どんなに辛いことがあっても、人生は続いていく。
失敗しても、悲しいことがあっても、また新しく始めることができる。
そんな再生と希望のメッセージとして、このシーンを心に刻んだ視聴者も多いのです。
高畑勲監督が描いた生と死の世界観
「生きる」ことへの深い洞察
高畑勲監督の作品には、常に「生きる」ことへの深い洞察が込められています。
『かぐや姫の物語』でも、かぐや姫が地上で経験する喜びや悲しみ、美しさや醜さの全てが、「生きる」ことの本質として描かれています。
ラストの赤ちゃんは、その「生きる」ことが一度きりではなく、何度も繰り返されるものであることを示唆しているんですね。
生まれ、成長し、様々な経験をして、そして終わりを迎える。
しかし、それで全てが終わるわけではなく、また新しい生が始まる。
この循環こそが、監督が描きたかった世界観なのです。
美しさと儚さの共存
『かぐや姫の物語』全体を通して描かれているのは、美しさと儚さの共存です。
地上の自然は美しいけれど、季節は移り変わり、花は散っていく。
人との出会いは素晴らしいけれど、必ず別れが訪れる。
ラストの赤ちゃんは、この儚さの中にこそ美しさがあるというメッセージを体現しています。
終わりがあるからこそ、今この瞬間が輝く。
そして、終わりは同時に新しい始まりでもあるのです。
観客それぞれの解釈を許す余白
高畑勲監督は、ラストの赤ちゃんについて明確な説明を残していません。
これは意図的なもので、観客それぞれが自分なりの解釈をすることを望んでいたのでしょう。
ある人は希望と受け取り、ある人は永遠の循環と受け取り、ある人は新たな問いと受け取る。
どの解釈も正しく、それぞれの人生観や価値観によって見え方が変わるのです。
これこそが、芸術作品としての『かぐや姫の物語』の奥深さなのかもしれません。
原作『竹取物語』との違い
原作にはない輪廻転生の要素
原作の『竹取物語』は、日本最古の物語文学として知られていますが、輪廻転生についての明確な記述はありません。
原作では、かぐや姫は月へ帰った後の描写はなく、そこで物語は終わります。
高畑勲監督は、この古典作品に現代的な解釈として輪廻転生の概念を加えることで、新しい深みを与えました。
これは原作を尊重しながらも、現代の観客に響くメッセージを込めた創作的なアプローチなのです。
より深い人間ドラマへの昇華
原作の『竹取物語』は、貴族たちの求婚や帝との出会いなど、様々なエピソードが中心です。
一方、映画版『かぐや姫の物語』は、かぐや姫の内面や感情により深く焦点を当てています。
ラストの赤ちゃんのシーンも、この内面描写の延長線上にあります。
かぐや姫が本当に求めていたものは何だったのか、そしてその魂はどこへ向かうのか。
こうした普遍的な問いを投げかけることで、単なる昔話を超えた人間ドラマへと昇華させているのです。
まとめ:ラストの赤ちゃんに込められた深いメッセージ
『かぐや姫の物語』のラストに映される赤ちゃんは、輪廻転生の暗示と希望の新たな始まりを象徴する演出です。
高畑勲監督は、ただ悲しいだけで終わるのではなく、「人生は続いていく」という肯定的なメッセージを伝えるために、この「救済措置」を取り入れました。
赤ちゃんのシーンは、以下のような様々な意味を持っています。
- 月へ去ったかぐや姫が地上に再び生まれてくる可能性
- 物語の始まりに戻る円環構造
- 記憶は失われても魂は続くという東洋思想
- 終わりは同時に新しい始まりでもあるというメッセージ
- 観客それぞれの解釈を許す芸術的な余白
2013年の公開から現在まで、このラストシーンについての議論や考察が続いているのは、普遍的な人間のテーマを扱っているからでしょう。
生と死、記憶と魂、別れと再会。
こうした誰もが向き合う問いに対して、高畑勲監督は一つの答えではなく、考えるきっかけを与えてくれているのです。
あなたなりの解釈を大切に
ラストの赤ちゃんをどう受け取るかは、あなた次第です。
希望と感じても、切なさと感じても、新たな疑問を持っても、それは全て正しい受け止め方なんですね。
もしまだ『かぐや姫の物語』を観ていないなら、ぜひご自身の目でこのラストシーンを確かめてみてください。
そして、すでに観た方も、もう一度観直してみると、新しい発見や気づきがあるかもしれません。
高畑勲監督が遺したこの美しい作品を通して、人生や生きることの意味について、あなた自身の答えを見つけてみてはいかがでしょうか。
きっと、観るたびに新しい感動と発見があるはずですよ。