
高畑勲監督の遺作となったスタジオジブリ作品『かぐや姫の物語』。
観終わった後、多くの人が涙を流し、その切ない結末について何度も思い返してしまうのではないでしょうか。
特にラストシーンの月への帰還は、美しくも悲しく、観る者の心に深く刻まれますよね。
この記事では、かぐや姫の物語のラストシーンを多角的に考察し、高畑監督が込めた想いや、原作『竹取物語』との違い、そしてあのラストが持つ本当の意味について詳しく解説していきます。
『かぐや姫の物語』ラストの結論

『かぐや姫の物語』のラストシーンは、かぐや姫が月の使者に迎えられ、地球での記憶を全て消されながら月へ帰還するという結末です。
このラストは単なる別れではなく、「生きることの喜びと苦しみ」「人間であることの意味」を問いかける深いメッセージが込められています。
月から来た天女の羽衣をまとったかぐや姫は、地球で過ごした全ての思い出、愛した人々の記憶、そして感じた全ての感情を失います。
しかし最後の瞬間、振り返って地球を見つめるかぐや姫の表情には、消えゆく記憶の中に残る何かが映し出されているのです。
なぜこのラストなのか?高畑監督の意図を考察

記憶の消去が持つ意味
ラストシーンで最も重要なのが、かぐや姫の記憶が消されてしまうという設定です。
原作『竹取物語』では、かぐや姫は月に帰る際に天の羽衣を着て心が変わってしまいますが、映画ではより明確に「記憶の消去」として描かれています。
これは高畑監督が、人間として生きることの価値を記憶と感情に見出していたことを示しています。
月は罪や穢れのない清浄な世界として描かれていますが、同時に感情も記憶もない世界でもあるのです。
つまり、完璧で永遠の命を持つ月の世界よりも、苦しみも喜びもある有限の人間の人生の方が、はるかに価値があるというメッセージが込められています。
かぐや姫が最後に流した涙
月へ向かう途中、かぐや姫は涙を流します。
この涙は、地球での記憶が消えていく中で最後に残った感情の名残だと考えられます。
捨丸との再会シーン、幼い頃の山での暮らし、育ての親である翁と媼との日々。
これらの記憶が消えていくことへの悲しみが、あの涙に凝縮されているのです。
完全に記憶を失う前の、最後の人間らしい感情の発露として、観る者の心を強く揺さぶります。
振り返る姿に込められた想い
月へ昇っていく最後のカットで、かぐや姫は一度だけ地球を振り返ります。
この振り返りには、様々な解釈が可能です。
記憶が消えても心の奥底に残る何か、あるいは消えゆく記憶への最後の執着、または地球への愛惜の念。
高畑監督は明確な答えを示さず、観る者に解釈を委ねる形で作品を終わらせています。
この曖昧さこそが、作品を何度も見返したくなる理由の一つでもありますね。
原作『竹取物語』との違い
原作では、かぐや姫は不死の薬を帝に残し、その薬を富士山で焼かせるという展開があります。
しかし映画版では、この不死の薬のエピソードは描かれていません。
代わりに、かぐや姫と捨丸が空を飛ぶシーンが重要な位置を占めています。
このシーンは原作にはないオリジナルの展開で、かぐや姫が地球で本当に望んでいた生き方、自由で幸せな人生を象徴的に表現しています。
高畑監督は原作を尊重しながらも、現代を生きる私たちへのメッセージとして再構築したのです。
月の迎えが象徴するもの
月からの使者たちは、美しい音楽とともに荘厳に現れます。
しかし彼らの存在は、決して優しいものではありません。
むしろ、人間の意志を無視した絶対的な力として描かれています。
翁や帝の軍勢が必死に抵抗しても、月の使者たちの前では全く無力です。
これは運命や宿命、あるいは避けられない別れや死といった、人間の力では抗えないものの象徴と解釈できます。
どんなに愛し合っていても、どんなに幸せでも、必ず終わりは来る。
この残酷な真実を、美しい映像で描いているのです。
ラストシーンに対する様々な解釈と反応
「生」と「死」のメタファーという解釈
多くの評論家や視聴者が指摘するのが、ラストシーンが「死」を象徴しているという解釈です。
月への帰還は、この世からの旅立ち、つまり死を美しく描いたものと捉えることができます。
記憶が消えるというのは、死後の世界では地上での記憶や感情が意味をなさないという考え方とも通じます。
しかし同時に、この作品は「だからこそ今を生きることが大切」というメッセージも含んでいるのです。
かぐや姫が地球で過ごした時間は短く、苦しみも多かったけれど、その全てが生きることの証明だったのです。
「望まない人生」からの解放という見方
別の角度から見ると、月への帰還は社会の期待や規範に縛られた人生からの解放とも解釈できます。
かぐや姫は姫として生きることを望んでいませんでした。
都での貴族としての生活、無数の求婚者、帝からの求愛。
これらは全て、かぐや姫本人が望んだものではなく、周囲が彼女に押し付けたものでした。
その意味で、月への帰還は苦しい現実からの逃避、あるいは本来の自分への回帰とも言えるのです。
ただし、その代償として記憶を失うという設定が、この解釈にも複雑さを加えています。
記憶は消えても心に残るものがあるという希望
一見すると絶望的なラストに見えますが、わずかな希望も描かれているという解釈もあります。
最後に振り返るかぐや姫の表情、そして流した涙。
これらは、記憶という形では消えても、もっと深い部分、魂の奥底には何かが残っているのではないかという可能性を示唆しています。
完全に無になるのではなく、言葉にできない何かが永遠に残る。
そんな希望を感じ取る観客も多いのです。
視聴者の感動的な反応
『かぐや姫の物語』のラストシーンは、多くの視聴者の心に深く刻まれています。
2026年1月9日に日本テレビ系「金曜ロードショー」で放送予定となっており、「ラストの『月の迎え』シーンは涙なしには観られません」というコメントも寄せられています。
SNSなどでは、「何度見ても泣いてしまう」「あの最後のシーンが忘れられない」「美しすぎて言葉にならない」といった声が多数見られます。
また、「子供の頃と大人になってからでは感じ方が全く違う」という意見も多く、人生経験によって受け取るメッセージが変わる深い作品であることが分かります。
音楽が演出する感動
ラストシーンの感動を一層引き立てているのが、音楽の力です。
二階堂和美さんが歌う主題歌「いのちの記憶」は、まさにこの作品のテーマを体現しています。
月の使者が現れるシーンの荘厳な音楽、そして静寂の中で響く繊細な音色。
映像と音楽が一体となって、言葉では表現できない感情を伝えているのです。
高畑監督は音楽の使い方にも徹底的にこだわり、沈黙の持つ力も効果的に活用しています。
水彩画のような映像表現が伝えるもの
『かぐや姫の物語』の特徴的な手描きの水彩画風のアニメーションは、ラストシーンで最も美しく輝きます。
月へ昇っていくシーンの淡い色彩、輪郭線の柔らかさ。
これらは、記憶が薄れていく様子を視覚的に表現しているとも解釈できます。
はっきりとした線ではなく、ぼやけた輪郭で描かれることで、儚さや不確かさが強調されているのです。
高畑監督がこの表現方法を選んだのは、デジタルでは出せない温かみと、同時に消えゆくものの美しさを表現するためだったのでしょう。
『かぐや姫の物語』ラスト考察のまとめ
『かぐや姫の物語』のラストシーンは、かぐや姫が月へ帰還し、地球での記憶を全て失うという切ない結末です。
しかしこの結末には、高畑勲監督の深いメッセージが込められています。
それは、人間として生きることの価値、記憶と感情の大切さ、そして有限だからこそ美しい人生の意味です。
記憶が消えても最後に流した涙、振り返った瞬間の表情は、完全には消えない何かの存在を示唆しています。
このラストは、「生」と「死」、「自由」と「束縛」、「記憶」と「忘却」といった対立する概念を通じて、私たちに問いかけてきます。
あなたは今、本当に生きたい人生を生きていますか?
大切な人との時間を、心から大切にしていますか?
いつか必ず終わりが来るからこそ、今この瞬間が輝いているのだと。
『かぐや姫の物語』は何度観ても新しい発見がある作品です。
あなた自身の人生経験や心の状態によって、受け取るメッセージは変わっていくでしょう。
2026年1月9日の「金曜ロードショー」での放送を機に、もう一度このラストシーンを味わってみてはいかがでしょうか。
きっと、以前とは違った感動や気づきがあるはずです。
そして観終わった後は、大切な人との時間を、今まで以上に大切にしたくなるかもしれませんね。
それこそが、高畑監督が私たちに遺してくれた、最も大きな贈り物なのではないでしょうか。