
高畑勲監督の『かぐや姫の物語』を観て、かぐや姫が眉毛を抜かれるシーンに驚いた方も多いのではないでしょうか。
「眉を抜いたら汗が目に入る!」と強く抵抗するかぐや姫の姿は、とても印象的ですよね。
このシーンは、単なる平安時代の化粧文化の再現だけでなく、かぐや姫の心の葛藤や物語全体のテーマを象徴する重要な場面なんです。
この記事では、眉毛を抜く描写の歴史的背景から、かぐや姫が抵抗する理由、そして最終的に受け入れる意味まで、詳しく解説していきます。
かぐや姫の物語で眉毛を抜く意味
かぐや姫が眉毛を抜くのは、平安時代の貴族女性の化粧習慣を表すと同時に、自由な自分から社会が求める「高貴な姫君」への変化を象徴しています。
眉を抜き、額の上に点のような眉を描く「引眉」は、当時の高貴な身分と女性らしさの証でした。
かぐや姫がこれを嫌がり、そして受け入れる過程は、彼女のアイデンティティの揺れ動きを描いた重要なモチーフなんですね。
なぜかぐや姫は眉毛を抜くのを嫌がるのか

平安時代の化粧文化「引眉」とは
まず、なぜ眉毛を抜く必要があったのか、平安時代の化粧文化から見ていきましょう。
平安時代の貴族女性には、独特の美意識がありました。
代表的なのが「お歯黒」と「引眉」という化粧法です。
お歯黒は歯を黒く染めること、引眉は自分の眉毛を剃り落として、額の上部に点のような眉を墨で描くことを指します。
現代の感覚からすると不思議に思えますが、当時はこれが最高に美しいとされる化粧法だったんですね。
引眉が持つ社会的な意味
引眉やお歯黒は、単なるおしゃれではありませんでした。
これらの化粧には、いくつかの社会的な意味が込められていたんです。
- 高貴さの証明:権力者階層に属する女性であることを示す
- 成熟の象徴:大人の女性、特に既婚女性であることの印
- 身分の記号:庶民とは異なる貴族階級であることのしるし
つまり、引眉は「私は高貴な姫です」という視覚的なメッセージだったわけですね。
かぐや姫が拒否する二つの理由
では、なぜかぐや姫はこの引眉を強く嫌がったのでしょうか。
作中では、大きく分けて二つの理由が描かれています。
身体的な違和感と実用性への疑問
まず一つ目は、身体感覚からの拒否です。
「眉を抜いたら汗が目に入る!」というかぐや姫の台詞は、とても象徴的ですよね。
眉毛には、額から流れる汗や雨水が目に入るのを防ぐという実用的な機能があります。
かぐや姫は、美しさのためにその機能を失うことに、身体レベルで違和感を覚えているんです。
山里で自由に走り回っていたかぐや姫にとって、実用性を無視した美の追求は不自然に感じられたのでしょう。
「作られた姫」への心理的抵抗
二つ目は、もっと深い心理的な抵抗です。
かぐや姫は、都で求められる「高貴な姫君」の作法や化粧を、自分本来の姿を覆い隠す虚飾として感じていました。
女官の相模から、歩き方、話し方、座り方など、あらゆる作法を矯正されるシーンがありますよね。
引眉やお歯黒も、その一連の「姫づくり」の一部だったんです。
かぐや姫が嫌がったのは、ありのままの自分が否定され、型にはめられることへの抵抗だったと言えるでしょう。
求婚者たちの視線との関係
かぐや姫の抵抗には、もう一つの側面があります。
それは、男性たちの視線への嫌悪感です。
作中で、五人の求婚者たちは、かぐや姫の噂や外見の美しさだけを崇拝していますよね。
誰も、かぐや姫の本心や本当の姿を見ようとはしません。
引眉やお歯黒は、男性たちの欲望に応えるための「商品化された美」の象徴として、かぐや姫には映っていたのかもしれません。
自分の意思とは関係なく、他者の期待に合わせて外見を変えることへの違和感が、眉毛を抜く拒否に表れているんですね。
かぐや姫が眉毛を抜くことを受け入れる場面の意味
山里への逃走と「夢」の挿入
かぐや姫は、引眉を強要された後、実際に行動を起こします。
着物を脱ぎ捨て、山里へと走り出すシーンは、とても印象的ですよね。
幼なじみの捨丸たちと過ごした、自由で楽しかった日々の場所へ。
でも、この逃走劇は「夢」として処理されてしまうんです。
目覚めたかぐや姫は、都の屋敷に戻っていました。
もう山里には戻れない、という現実を突きつけられる場面なんですね。
受け入れの瞬間が示すもの
夢から覚めた後、かぐや姫は変化します。
それまで頑なに拒否していた引眉とお歯黒を、ついに受け入れるんです。
この転換は、かぐや姫にとって何を意味するのでしょうか。
多くの研究者は、これを二つの自己像の間での選択と解釈しています。
- 山里で自由にお転婆に生きる自分(本来の自分)
- 都でお淑やかな高貴な姫として生きる自分(期待される自分)
かぐや姫は、翁(育ての親)の期待に応えるために、後者を選んだんですね。
この選択は、自己犠牲的でもあり、社会への妥協でもあります。
表情の描き分けが表す心の二面性
ある研究では、かぐや姫の顔の描き方に注目しています。
作中でかぐや姫は、二種類の表情で描き分けられているんです。
- やわらかく女性的な顔つき:姫君として振る舞うとき
- 男性的で険しい顔つき:本音を出したり抵抗したりするとき
眉を抜くことを受け入れた後のかぐや姫は、前者の表情で描かれることが増えるんですね。
これは、「男性的なお転婆な自分」から「女性的で従順な自分」へのシフトを視覚的に表現しているとされています。
でも、この変化は完全なものではありません。
物語の後半でも、かぐや姫の心の中には二つの自己が葛藤し続けているんです。
「虫愛づる姫君」との深い関係
元ネタとなった古典文学
『かぐや姫の物語』の眉毛を抜くモチーフには、実は元ネタがあるとされています。
それが、『堤中納言物語』に収録されている「虫愛づる姫君」という短編です。
この物語の主人公は、とても変わった姫君なんですよ。
「虫愛づる姫君」の内容
「虫愛づる姫君」は、平安時代の物語集に含まれる一編です。
主人公の姫君は、他の女性とは全く違う価値観を持っていました。
- 蝶よりも毛虫を美しいと感じる(変化の過程を見られるから)
- お歯黒や引眉などの化粧を拒否する
- 自然な姿こそが美しいと主張する
- 男性たちの求める「女らしさ」に反発する
当時の規範的な「女らしさ」と真っ向から対立する姫君として描かれているんですね。
高畑監督による二つの古典の融合
高畑勲監督は、『竹取物語』のかぐや姫に、この「虫愛づる姫君」の要素を重ね合わせたと考えられています。
元々の『竹取物語』では、かぐや姫が化粧を嫌がる描写はありません。
これは、映画オリジナルの解釈なんです。
「化粧・虚飾を拒む姫」という「虫愛づる姫君」の系譜を引用することで、かぐや姫のキャラクターに深みと現代性を与えているんですね。
二つの古典を融合させることで、単なる時代劇ではなく、現代にも通じる普遍的なテーマを持つ作品に仕上がっているんです。
現代的テーマとしての眉毛描写
ジェンダーロールへの問いかけ
『かぐや姫の物語』の眉毛を抜くエピソードは、現代的な視点からも重要な意味を持っています。
映画研究では、このシーンを規範的なジェンダーロールへの違和感の表現として読み解いています。
「女性はこうあるべき」という社会的期待と、「本当の自分」とのギャップ。
これは、平安時代だけでなく、現代の女性にも共通するテーマですよね。
外見を整えること、おしとやかに振る舞うこと、男性の期待に応えること。
こうした「女性らしさ」の押しつけに対する抵抗として、眉毛拒否のシーンは読むことができるんです。
古典と現代の架け橋
高畑監督は、かぐや姫を「古典世界を、現代的な価値観で生きる存在」として描いたとされています。
平安時代の物語でありながら、現代人が共感できる感情や葛藤を持っているんですね。
眉毛を抜く・抜かないという選択は、一見些細なことに見えます。
でも、そこには以下のような深いテーマが込められているんです。
- 自己決定権:自分の身体を自分で決める権利
- アイデンティティ:本当の自分とは何か
- 社会的圧力:周囲の期待にどう応えるか
- 妥協と抵抗:折り合いをつけることの意味
こうしたテーマは、時代を超えて私たちに問いかけてくるんですね。
批判的な視点も存在する
一方で、この描写には批判的な意見もあります。
ある評論では、現代の審美眼を安易に過去へ投影しているのではないかという指摘がなされています。
お歯黒や引眉を「変」「おかしい」として否定する一方で、十二単などは「美しい」とする。
これは、現代人の感覚で過去を判断しているだけではないか、という批判です。
当時の人々にとっては、引眉こそが最高の美だったわけですからね。
こうした視点も含めて、作品を多角的に見ることが大切なんです。
SNSや鑑賞者の反応
「眉を抜いたら汗が目に入る」という台詞への共感
SNSでは、かぐや姫のこの台詞に多くの共感が集まっています。
「確かに眉毛には意味があるよね」「実用性を無視した美の追求への疑問」といった声が見られますね。
身体的な違和感を率直に表現したこの台詞は、美の基準への素朴な疑問として受け止められているんです。
「なぜそこまでしなければならないのか」という問いかけは、現代の美容文化にも通じるものがありますよね。
平安時代の化粧への驚き
「引眉って本当にあったの?」「お歯黒って実際はどう見えたんだろう」といった、歴史的関心も多く見られます。
映画をきっかけに、平安時代の化粧文化について調べる人も増えているんですよ。
当時の美意識が、現代とはかなり異なっていたことへの驚きの声が多いですね。
「美しさの基準は時代によって変わる」という気づきを得た人も多いようです。
かぐや姫の葛藤への感情移入
「自分らしさと周囲の期待の間で揺れるかぐや姫に共感する」という意見も多数あります。
特に女性視聴者から、「女性らしさを求められることへの違和感」に共感する声が目立ちますね。
「本当の自分を抑えて、期待される役割を演じなければならない辛さ」を、かぐや姫に重ねて見る人が多いんです。
眉を抜くシーンは、そうした葛藤を視覚化した象徴的な場面として受け止められています。
まとめ:眉毛が語るかぐや姫の心
『かぐや姫の物語』で描かれる眉毛を抜くシーンは、多層的な意味を持つ重要な場面です。
歴史的には、平安貴族女性の化粧習慣「引眉」の再現であり、高貴さと身分の象徴でした。
物語の中では、自由な自分と社会が求める姫像との間で揺れ動くかぐや姫の葛藤を象徴しています。
かぐや姫が「眉を抜いたら汗が目に入る!」と抵抗するのは、身体的違和感だけでなく、虚飾への拒否、本当の自分を見てもらえない悲しさの表れなんですね。
そして最終的に引眉を受け入れるシーンは、翁の期待に応えるため、本来の自分を抑えて「姫」の役割を演じる決意を示しています。
「虫愛づる姫君」の系譜を引き継ぎながら、現代的なジェンダー・アイデンティティの問題とも重なる、普遍的なテーマが込められているんです。
もう一度観てみませんか
眉毛を抜くシーンの意味を知った今、『かぐや姫の物語』を改めて観ると、新しい発見があるかもしれませんね。
かぐや姫の表情の変化、言葉の一つひとつに、こんなにも深い意味が込められていたんです。
あなた自身の「本当の自分」と「求められる自分」について、考えるきっかけにもなるかもしれません。
高畑勲監督が遺してくれたこの作品は、時代を超えて私たちに問いかけ続けてくれます。
ぜひ、もう一度じっくりと作品と向き合ってみてくださいね。