
かぐや姫に求婚する五人の貴公子の一人として登場する「阿部の右大臣」。
彼は財力と権力を兼ね備えた大貴族でありながら、かぐや姫から課された「火鼠の皮衣」という難題に挑み、そして失敗する人物として描かれています。
実はこの阿部の右大臣には、史実上のモデルとなった飛鳥時代の公卿が存在し、物語と歴史が交差する興味深いキャラクターなのです。
この記事では、物語における阿部の右大臣の役割や、火鼠の皮衣のエピソード、そして史実上のモデルとなった阿倍御主人という人物について、詳しく解説していきます。
阿部の右大臣とは財力豊かな求婚者で火鼠の皮衣に失敗した人物

阿部の右大臣は、右大臣阿倍御主人(あべのみうし/あべのみむらじ)という名前で、かぐや姫に求婚する五人の貴公子の一人として登場します。
彼はかぐや姫から「火鼠の皮衣」という唐土(中国)にあるとされる不燃の宝物を持ってくることを難題として課されました。
財産が豊かで一門も繁栄した大貴族であった阿部の右大臣は、唐へ家臣を派遣して火鼠の皮衣を金で買い求めさせます。
しかし、持ち帰った皮衣は偽物であり、かぐや姫が火にくべて試したところめらめらと燃えてしまい、結婚は破談となってしまいます。
物語では、この失敗から「遂行できなくてがっかりする」ことを「あえなし(あへなし)」と言うようになったという語源説話的な説明も付されています。
なぜ阿部の右大臣は火鼠の皮衣の難題に失敗したのか

財力と権力だけでは手に入らない宝物
阿部の右大臣が失敗した理由の一つは、財力と権力だけでは真の価値あるものは手に入らないという物語のメッセージが込められています。
彼は財産が豊かで一門も繁栄した大貴族として描かれており、唐土まで家臣を派遣して宝物を買い求めさせるという、当時としては相当な財力を持っていました。
しかし、その財力を持ってしても、本物の火鼠の皮衣を手に入れることはできなかったのです。
偽物をつかまされた過程
阿部の右大臣は、唐から来た商人「王けい」に宛てて書状を送り、家臣の小野房盛(房森)を唐土へ派遣しました。
房盛は唐で王けいから品物と返書を受け取り、筑紫から七日間で都へ戻るという、物語中でも「かなりがんばった」無理筋な速さで帰ってきました。
阿倍の右大臣はそれを「本物」と信じ込み、立派な箱に納めて飾り立て、自分も念入りに装い、「今度こそ婿になろう」と意気込んでかぐや姫のもとへ持参したのです。
この過程には、権力者が騙されやすい心理や、見栄を張ろうとする姿勢が風刺的に描かれています。
かぐや姫による試し焼き
かぐや姫は「立派な皮だが、本物の火鼠の皮だという証拠がない」として、火にくべて焼いてみることを要求しました。
これは真偽を見極めるための究極の試練であり、偽物であった皮衣はめらめらと燃えてしまいます。
右大臣は顔色を「草の葉のように青く」して打ちひしがれ、結婚は破談となり、しごく肩すかしの形で退場することになったのです。
権力者批判としての解釈
この物語は、単なる失敗譚ではなく、権力者への批判的なニュアンスを帯びていると解釈されることが多いです。
財力と地位を持ちながらも、本物の価値を見極められず、見栄と偽装で失敗する姿は、当時の貴族社会への風刺として読み取ることができます。
世間では「阿倍の大臣が火鼠の皮衣を持って来て、かぐや姫と結婚なさることになったのだろう」とうわさされていたのに、「火にくべたら焼けてしまい、結婚できなかった」という結末は、権力者の失墜を象徴的に表しています。
阿部の右大臣の具体的なエピソードと解釈
唐土への使者派遣という大規模な試み
阿部の右大臣のエピソードで特徴的なのは、唐土という遠く離れた地へ使者を派遣するという大規模な試みを行った点です。
他の求婚者たちがそれぞれ異なるアプローチを取る中で、右大臣は財力を活かした正攻法で挑んだと言えます。
家臣の小野房盛を派遣し、筑紫から七日間で都へ戻るという、物語中でも「かなりがんばった」無理筋な速さという描写があります。
これは当時の交通事情を考えると明らかに不可能な速さであり、物語としての誇張表現でありながらも、右大臣がいかに本気で取り組んだかを示しています。
立派な箱と念入りな装いという見栄
阿部の右大臣は、手に入れた皮衣を立派な箱に納めて飾り立て、自分も念入りに装いました。
この描写は、中身よりも外見を重視する権力者の姿勢を風刺していると解釈できます。
「今度こそ婿になろう」と意気込む様子は、自信に満ちた権力者の姿であり、それが後の失敗によってより際立つ対比となっています。
「あえなし」という語源説話
物語本文の末尾では、「遂行できなくてがっかりする場合を、阿倍にちなんで『あえなし(あへなし)』と言うようになった」という語源説話的な説明が付されています。
これは実際の語源というより、物語内でのしゃれ・語呂合わせ的な由来話として扱われていると考えられています。
このような言葉遊びを含めることで、物語に民間伝承的な要素を加え、読者の記憶に残りやすくする効果があります。
五人の求婚者の中での位置づけ
かぐや姫に求婚する五人の身分は次の通りです。
- 石作皇子
- 車持皇子
- 右大臣 阿倍御主人
- 大納言 大伴御行
- 中納言 石上麻呂
このうち、阿倍御主人(右大臣)、大伴御行(大納言)、石上麻呂(中納言)の三人は実在の貴族に対応しているとされています。
特に阿倍御主人と大伴御行は、いずれも壬申の乱で天武天皇側に与した功臣である点が共通しているとする指摘もあります。
このことから、物語が単なる幻想譚ではなく、当時の政治や貴族社会と密接に絡み合った作品であることがわかります。
史実上のモデル:阿倍御主人という人物
阿倍の右大臣のモデルとされる人物は、飛鳥時代の公卿阿倍御主人(あべ の みうし)で、姓は布勢(普勢)氏ともされ「阿倍普勢」とも書かれます。
父は左大臣阿倍内麻呂で、阿倍氏の有力貴族出身でした。
壬申の乱(672年)で大海人皇子(のちの天武天皇)側に付き功績を立てた功臣とされ、天武朝から政務に携わり、持統・文武朝でも昇進し、のちに従二位・右大臣となりました。
大宝元年(701年)には右大臣に任じられ、太政官の筆頭に立ち、同年、壬申の乱の功労として与えられていた封戸100戸が「中第」と評価され、その4分の1を子息に相続することを許されています。
大宝3年(703年)閏4月1日薨去、享年69歳でした。
物語と史実の時期的な符合
公卿補任など史料と照合すると、大宝元年(701年)に阿倍は右大臣、大伴御行・石上麻呂は大納言となっており、物語に登場する三人の公卿と官職がほぼ合致しています。
江戸時代の国学者・加納諸平らも、作中の貴公子たちが実在の貴族を連想させる意図的なネーミングと考えています。
このことから、竹取物語は平安時代初期に成立したものの、飛鳥時代の実在の人物を意識的に登場させていると考えられます。
研究者による様々な解釈
竹取物語は平安前期成立の日本最古の物語文学とされ、後世『源氏物語』でも「かぐや姫の物語」と言及されています。
五人の貴公子に史実の人物を重ねることから、当時の貴族社会・政界への風刺や、特定家筋・政治勢力への批評などの政治的・社会的含意を読み取ろうとする研究が続いています。
歴史読み物のなかには、竹取物語全体を、壬申の乱や天武天皇周辺の血なまぐさい天皇史を寓話的に伝える物語だとする大胆な仮説もあります。
ただし、これはあくまで一説であり、学界の確立した定説とはいえません。
まとめ:阿部の右大臣は財力と権力の限界を示す象徴的キャラクター
かぐや姫の物語に登場する阿部の右大臣は、財力と権力を兼ね備えた大貴族でありながら、火鼠の皮衣という難題に失敗する人物として描かれています。
正式名称は右大臣阿倍御主人といい、かぐや姫から課された難題に対して、唐土まで家臣を派遣して火鼠の皮衣を買い求めさせるという正攻法で挑みました。
しかし持ち帰った皮衣は偽物であり、かぐや姫の試し焼きによって燃えてしまい、結婚は破談となってしまいます。
このエピソードは単なる失敗譚ではなく、財力と地位だけでは真の価値あるものは手に入らないという教訓や、権力者への風刺が込められていると解釈されています。
また、史実上のモデルとして飛鳥時代の公卿・阿倍御主人が存在し、壬申の乱で功績を立て、従二位・右大臣にまで昇進した人物でした。
大宝元年(701年)の官職が物語の設定とほぼ合致することから、作者は意図的に実在の人物を登場させ、当時の政治や貴族社会を風刺的に描いたと考えられます。
竹取物語が日本最古の物語文学でありながら、このような社会批判的な要素を含んでいることが、現代でも読み継がれる理由の一つと言えるでしょう。
阿部の右大臣の物語を知ることで、かぐや姫の物語がより深く理解できるようになりますね。
単なるおとぎ話ではなく、権力や財力の限界、真実を見極める目の大切さなど、現代にも通じる普遍的なテーマが込められているのです。
もし竹取物語を読んだことがない方は、ぜひ一度原文や現代語訳に触れてみてください。
阿部の右大臣だけでなく、他の四人の求婚者たちのエピソードも、それぞれに興味深い教訓や風刺が込められています。
日本最古の物語文学が、千年以上の時を超えて現代の私たちに語りかけてくるメッセージを、ぜひ受け取ってみてくださいね。