
「かぐや姫の物語」を見終わった後、あの美しくも切ないラストシーンが心に残り続けている方も多いのではないでしょうか。
月から迎えが来て、天の羽衣を着せられたかぐや姫は、地上での記憶を失いながら天へと昇っていきましたね。
でも、その後かぐや姫はどうなったのでしょう。
月の世界でどんな暮らしをしているのか、地上での記憶は本当に消えてしまったのか、そして彼女は幸せなのか——気になりますよね。
実は、原典の『竹取物語』にも高畑勲監督の『かぐや姫の物語』にも、月に帰った後の具体的な描写はほとんどありません。
だからこそ、多くの人がその「続き」について想像を膨らませ、さまざまな解釈や考察が生まれています。
この記事では、原典と映画の両方から読み取れる情報をもとに、かぐや姫が月に帰った後の姿や、彼女を取り巻く世界について詳しく解説していきます。
結論:かぐや姫は記憶を失い、永遠の命を持つ月の住人に戻った

まず結論から言うと、かぐや姫は天の羽衣を着せられた瞬間に地上での記憶と感情を失い、月の都へ戻って不死の存在として生きているとされています。
これは原典『竹取物語』でも、高畑勲監督の『かぐや姫の物語』でも共通して描かれている部分なんですね。
天の羽衣には特別な力があって、それを身に着けると人間界での思い出や愛情、悲しみといった感情がすべて消えてしまうのです。
翁や媼への愛情、帝への思い、そして地上で経験したすべての喜怒哀楽が、まるで何もなかったかのように消え去ります。
月の世界は老いも死もない永遠の場所であり、かぐや姫はそこで穢れのない清浄な存在として、天人たちと共に暮らしていると考えられます。
ただし、月での具体的な生活や彼女の心情については、原典にも映画にも明確な描写がありません。
そのため、かぐや姫が本当に幸せなのか、記憶が完全に消えたのか、それとも何かが残っているのかは、読者や観客それぞれの解釈に委ねられているのです。
なぜかぐや姫は記憶を失い、月の住人に戻るのか

天の羽衣が持つ特別な力
かぐや姫が地上での記憶を失う理由は、天の羽衣という特別な衣装にあります。
原典『竹取物語』では、月からの使者がこの羽衣を持参し、かぐや姫に着せようとする場面が描かれていますね。
かぐや姫自身も「この衣を着せられたら、この国の人を思う心がなくなってしまう」と知っており、最後まで抵抗しようとします。
でも結局、羽衣を着せられた瞬間に、翁や媼への愛情、地上での日々の記憶がすべて消えてしまうのです。
これは単なる「忘れてしまう」というレベルではなく、感情そのものが消失するという恐ろしい力なんですね。
高畑勲監督の映画版でも、この場面は非常に印象的に描かれており、かぐや姫の表情から人間らしさが徐々に消えていく様子が切なく表現されています。
月の世界の性質と人間界との違い
そもそも月の世界とはどんな場所なのでしょうか。
原典や古典研究では、月は「死と再生を繰り返し、老いない世界」「穢れなき浄土」の象徴とされています。
つまり、月の住人である天人たちは永遠の命を持ち、老いることも死ぬこともない存在なのです。
その代わり、人間が持つような欲や執着、喜怒哀楽といった感情も持たないとされています。
これに対して人間界は「穢れた世界」として描かれますが、同時に感情に満ちた豊かな世界でもあるんですね。
かぐや姫は本来、この月の都の住人でした。
では、なぜ彼女は人間界に下されたのでしょうか。
これについては複数の解釈があり、何らかの罪を犯したための罰として地上に落とされたという説が有力です。
かぐや姫の「罪」とは何だったのか
かぐや姫がどんな罪を犯したのかについては、原典では明確に語られていません。
しかし、いくつかの研究や解釈では興味深い説が提示されています。
一つは、月の王に求婚を拒んだことが原因という説です。
この解釈では、かぐや姫は月の王から求愛されたものの、それを拒否したため、腹を立てた王によって「重罪人」として地上に流されたとされています。
もし無実の罪で流刑にされたのなら、月に戻った後は名誉が回復され、再び月の共同体の一員として受け入れられたのかもしれませんね。
もう一つの解釈は、高畑勲監督の『かぐや姫の物語』で示唆されているものです。
映画では、かぐや姫が月で「地球(人の世)の方が良い」と思ってしまったこと自体が罪だったと解釈されています。
月の世界の価値観からすれば、穢れた人間界を良いと思うこと自体が許されざる考えだったわけですね。
その罰として、彼女は地上に落とされ、「男を惹きつける力」という呪いまで与えられました。
望まない求婚者たちに囲まれ、苦しみながら生きることが、彼女への罰だったのです。
罰の終了と月への帰還
では、なぜかぐや姫は月に帰れることになったのでしょうか。
映画版の解釈では、かぐや姫が苦しみの中で「月に帰りたい」と願った瞬間に罰が終了したとされています。
つまり、「やはり地上より月の方が良い」と彼女自身が認めたことで、月側は「目的は達成された」と判断したわけですね。
そして月からの迎えが来て、かぐや姫は天の羽衣を着せられ、地上での記憶を失いながら月へと帰っていくのです。
この構図からすると、月に戻った後のかぐや姫は、罰を終えて月の共同体に再度迎え入れられた存在ということになります。
月に帰った後のかぐや姫についての具体的な解釈
解釈①:完全に記憶を失い、感情のない存在に
最も一般的な解釈は、かぐや姫は天の羽衣によって完全に記憶と感情を失ったというものです。
原典『竹取物語』では、羽衣を着た瞬間に「何事もなかったかのように」月の車に乗る様子が描かれています。
これは、地上での30年近い人生が、彼女の中から完全に消去されたことを意味していますね。
翁や媼のこと、求婚者たちとのやりとり、帝との出会い、すべてが「なかったこと」になってしまったのです。
月の世界では、かぐや姫は欲も執着も持たない清浄な天人として、永遠の時を静謐に過ごしていると考えられます。
この解釈では、かぐや姫自身は苦しんでいないものの、人間らしい喜びや悲しみ、愛情といった「生の実感」も失ってしまったことになります。
ある意味では幸福かもしれませんが、同時に「生きている」とは言えない虚無的な状態とも言えるでしょう。
解釈②:わずかな記憶の断片が残っている
一方で、かぐや姫の心の奥底にはわずかな記憶の断片が残っているのではないかという解釈もあります。
高畑勲監督の映画では、月へ昇る直前にかぐや姫が地球を振り返る場面があります。
あの一瞬の表情から、完全には消えきらない未練や、記憶の痕跡を感じ取る観客も多いんですね。
また、映画のラストで流れる「わらべ唄」には、地上での記憶が歌詞に込められていると解釈することもできます。
もしかしたら、天の羽衣の力でも消せない何かが、かぐや姫の魂の深いところに残っているのかもしれません。
この解釈だと、月に戻った後も、時折ふとした瞬間に地上のことを思い出し、言葉にできない切なさを感じているかもしれませんね。
解釈③:人間界の「血」を持つ境界的存在に
さらに別の視点として、かぐや姫は人間界に由来する「血」や記憶の痕跡を一部に抱えた、境界的な存在になったという解釈もあります。
原典では、かぐや姫は赤ちゃんのときに竹の中から現れ、翁と媼に育てられて成長しました。
人間の親に育てられ、人間として成長した経験は、完全に消し去ることができるものなのでしょうか。
月に戻った後も、彼女は他の天人たちとは少し違う、地上と月の両方を知る唯一の存在として位置づけられるかもしれません。
表面的には感情を失っているように見えても、深層心理では地上での経験が彼女を形作っている——そんな複雑な存在として、月の世界に戻ったのかもしれませんね。
高畑勲監督が描いた月の世界の雰囲気
高畑勲監督の『かぐや姫の物語』では、月の世界の雰囲気が印象的に描かれています。
映画のラストシーンは、多くの観客に「救いのない虚無感」「怖い」という印象を与えました。
月の世界は確かに美しく、完璧で静謐な場所として描かれていますが、同時に感情や苦しみも失われた「無」に近い場所として表現されているんですね。
監督は、かぐや姫が天の羽衣を着せられる場面で、彼女の表情から徐々に人間らしさが消えていく様子を丁寧に描いています。
最後には無表情で、まるで人形のようになってしまったかぐや姫の姿が、観る者の心に深い印象を残します。
この演出から、監督は「完璧だが生の実感のない世界」と「不完全だが喜怒哀楽に満ちた人間界」を対比させていると読み取れますね。
地上に残された人々のその後と、月との対比
翁と媼の深い喪失感
かぐや姫が月に帰った後、最も深い悲しみに包まれたのは翁と媼でした。
原典『竹取物語』でも、映画『かぐや姫の物語』でも、二人が文字通り「子」を失った老夫婦として、深い悲嘆の中に取り残される様子が描かれています。
翁は、かぐや姫を育てるために一生懸命働き、彼女のために豪邸を建て、立派な姫として育て上げました。
媼は、赤ちゃんのときから愛情をもってかぐや姫を育ててきました。
二人にとって、かぐや姫は本当の娘であり、人生の喜びそのものだったのです。
その大切な娘が突然、月へと連れ去られてしまう——しかも、かぐや姫本人は地上での記憶を失ってしまうため、二人の愛情や思い出も「なかったこと」にされてしまうわけですね。
この一方的な喪失感が、『かぐや姫の物語』のラストが「怖い」「救いがない」と評される大きな理由の一つです。
帝の選択:不死の薬を焼く意味
かぐや姫が月へ帰る際、彼女は帝への手紙と共に不死の薬を残していきました。
この薬を飲めば、帝は永遠の命を得て、老いることも死ぬこともなくなります。
しかし帝は、「かぐや姫のいない世に生き永らえる意味はない」として、この不死の薬を駿河の山(のちの富士山)で焼かせてしまうのです。
これは非常に象徴的な場面ですね。
帝は人間としての有限の寿命を選び、かぐや姫への断ち切れない想いを抱えたまま生きることを選んだわけです。
月の世界の「永遠の命」と、人間界の「限りある命」——この対比が、物語の重要なテーマとして浮かび上がってきます。
「天上の不死」と「地上の愛と死」の対比
『竹取物語』全体を通して描かれているのは、「天上の不死」と「地上の愛と死」の対比です。
月の世界には永遠の命があり、苦しみも老いもありません。
しかし同時に、愛情や喜び、悲しみといった人間らしい感情も存在しないのです。
一方、人間界は穢れていて、苦しみや悲しみに満ちています。
人は老い、やがて死を迎えます。
でも、だからこそ限りある時間の中で誰かを愛し、喜びを感じ、「生きている」という実感を持つことができるんですね。
かぐや姫の物語は、この二つの世界の違いを鮮やかに描き出しています。
そして最終的に、物語の焦点は「月での生活そのもの」より、「人間界を去ることの意味」と地上側の喪失・有限性に置かれているのです。
なぜ地上に残された者たちの物語が重要なのか
原典でも映画でも、かぐや姫が月に帰った後の様子はほとんど描かれません。
その代わりに、翁と媼、そして帝など、地上に残された人々の悲しみと喪失感が強調されています。
これはなぜでしょうか。
それは、この物語が本質的に「別れ」と「喪失」、そして「有限性の中での愛」をテーマにしているからだと考えられます。
かぐや姫自身は記憶を失い、月で永遠に生きているかもしれません。
でも、彼女を愛した人々は、その思い出と共に残りの人生を生きていかなければならないのです。
この一方的な別れの切なさこそが、『かぐや姫の物語』の核心なんですね。
SNSやファンの間で語られる「月に帰った後」
「ラストが怖い」という声
高畑勲監督の『かぐや姫の物語』について、SNSでは「ラストが怖い」「救いがない」という感想が数多く見られます。
特に、かぐや姫が天の羽衣を着せられて無表情になっていく場面や、地上に残された翁と媼の姿に、深い恐怖や虚無感を感じたという声が多いんですね。
ある視聴者は「ハッピーエンドのように見えて、実は誰も救われていない結末だった」とコメントしています。
かぐや姫は苦しみから解放されたかもしれないけれど、同時に「生きている」という実感も失ってしまった——その恐ろしさが、多くの人の心に残っているようです。
「記憶の断片が残っているのでは」という考察
一方で、「かぐや姫の心の奥底には、わずかな記憶が残っているのではないか」という考察も人気があります。
映画で月へ昇る直前にかぐや姫が地球を振り返る場面について、「あの瞬間に何かを思い出そうとしていたのでは」という解釈が多く語られています。
また、劇中で繰り返し歌われる「わらべ唄」に込められた意味についても、さまざまな考察が行われていますね。
「完全に記憶が消えたわけではなく、夢のように曖昧な形で残っているのかもしれない」という意見もあります。
二次創作で描かれる「その後」の物語
現代では、小説投稿サイトや学校の授業課題などで、「かぐや姫が月に帰った後」の続編を書いた創作が数多く見られます。
中には、かぐや姫が月で地上を思い出そうとする話や、再び地上へ降りる話、帝や翁・媼と再会する話など、さまざまなバリエーションがあります。
こうした二次創作が生まれるのは、原典や映画が「その後」を明確に描いていないからこそですね。
読者や観客が、自分なりの「かぐや姫のその後」を想像し、物語を完結させたいと思う気持ちの表れと言えるでしょう。
ただし、これらはあくまで二次創作・ファンの想像であり、公式の設定とは異なることには注意が必要です。
まとめ:かぐや姫は永遠の存在になったが、幸福かどうかは解釈次第
ここまで見てきたように、かぐや姫は天の羽衣を着せられて地上での記憶と感情を失い、月の都へ戻って不死の存在として生きているというのが、原典と映画に共通する事実です。
月の世界では、老いも死もなく、苦しみもありません。
かぐや姫は穢れのない清浄な天人として、永遠の時を過ごしているでしょう。
しかし、彼女が本当に幸せなのか、記憶が完全に消えたのか、それとも何かが残っているのか——これについては、明確な答えは示されていません。
解釈は人それぞれで、完全に記憶を失って感情のない存在になったと考える人もいれば、わずかな記憶の断片が心の奥底に残っていると考える人もいます。
また、高畑勲監督の映画が示唆するように、「完璧だが生の実感のない世界」と「不完全だが喜怒哀楽に満ちた人間界」のどちらが幸福なのかという問いかけもありますね。
物語の焦点は、月でのかぐや姫の生活そのものよりも、地上に残された翁・媼・帝たちの喪失と悲しみ、そして「人間界を去ることの意味」に置かれています。
この構図こそが、『かぐや姫の物語』を単なる昔話ではなく、深い哲学的テーマを持つ物語にしているのです。
この物語が問いかけるもの
『かぐや姫の物語』は、古くから日本人の心に深く刻まれてきた物語です。
月に帰った後のかぐや姫について明確な答えがないからこそ、私たち一人ひとりが自分なりの解釈を持つことができるんですね。
あなたは、かぐや姫が月で幸せだと思いますか?
それとも、記憶を失ってしまったことを悲しいと感じますか?
完璧で永遠の命があるけれど感情のない世界と、不完全で限りある命だけれど愛に満ちた世界——どちらがより価値があるのでしょうか。
この問いに、正解はありません。
でも、この物語について考え、自分なりの答えを見つけることで、私たち自身の「生きること」の意味が少し見えてくるかもしれませんね。
もう一度、原典を読み返したり、高畑勲監督の映画を見返したりして、あなた自身の「かぐや姫のその後」を想像してみてください。
きっと、新しい発見や感動があるはずですよ。