
『竹取物語』に登場する車持皇子のエピソードをご存知でしょうか?
かぐや姫に求婚する5人の貴公子の一人として描かれるこの人物は、実は物語の中でもっとも興味深い行動をとる人物なんです。
蓬莱の玉の枝という手に入らない宝を求められた車持皇子は、どのような選択をしたのでしょうか?
この記事では、車持皇子とかぐや姫の物語における彼の役割、課された難題、そして彼が選んだ道とその結末について、詳しくご紹介していきますね。
物語に込められた深いメッセージや、現代にも通じる人間の弱さについても触れていきます。
車持皇子はかぐや姫に偽物の宝を献上した求婚者

車持皇子は『竹取物語』で、かぐや姫に蓬莱の玉の枝を取ってくるよう命じられ、約3年かけて職人に精巧な偽物を作らせて献上した人物です。
しかし、最終的には代金を求めてやってきた工人たちによって偽造が露見し、求婚は失敗に終わります。
このエピソードは、虚栄や嘘に頼る人間の弱さを象徴的に描いた物語として、現代でも高く評価されているんですよ。
車持皇子が登場する『竹取物語』とは

日本最古級の物語文学
『竹取物語』は平安時代前期に成立したとされる、日本最古級の物語です。
光り輝く竹の中から見つかった小さな女の子が、かぐや姫として美しく成長し、やがて月へ帰っていくという不思議な物語ですね。
この物語には、多くの教訓や風刺が込められており、単なる昔話ではなく、深い文学作品として評価されています。
5人の求婚者の物語
かぐや姫の美しさに惹かれて、5人の高貴な貴公子たちが求婚を申し込みます。
しかし、かぐや姫は結婚を避けるために、それぞれに絶対に手に入らない宝を取ってくるよう命じるんです。
5人の求婚者は以下の通りです。
- 石作皇子(いしつくりのみこ)
- 車持皇子(くらもちのみこ)
- 右大臣阿倍御主人(あべのみうし)
- 大納言大伴御行(おおとものみゆき)
- 中納言石上麻呂(いそのかみのまろ)
それぞれが異なる宝を求められ、様々な方法で挑戦しますが、いずれも失敗に終わります。
車持皇子に課された「蓬莱の玉の枝」という難題
蓬莱山とは何か
蓬莱山は、東海の彼方にあるとされる伝説上の仙境です。
中国の神仙思想に基づく架空の山で、不老不死の仙人が住むとされていました。
物語中にも「東の海に蓬莱という山あるなり」と記されており、現実には到達不能な場所として描かれているんですよ。
蓬莱の玉の枝とは
蓬莱の玉の枝とは、その蓬莱山に生えるとされる宝の木の枝です。
根が銀、茎が金、実が真珠でできているという、この世に存在しない究極の宝物なんです。
かぐや姫が車持皇子に命じたのは、まさにこの手に入れることが不可能な宝を取ってくることでした。
車持皇子が選んだ「偽造」という道
真実を諦めた瞬間
車持皇子は、蓬莱山が現実には行けない場所だと悟ります。
そこで彼が選んだのは、真実を求める道ではなく、偽物を作るという道でした。
この選択こそが、車持皇子のエピソードの核心であり、物語全体のテーマにも深く関わる重要なポイントなんですね。
三年かけた精巧な偽造工作
車持皇子は鍛冶匠や工人たちを雇い、約三年をかけて精巧な玉の枝を作らせました。
物語では「千日」ほど経ったと記されており、その時間経過が彼の作り話の中の経過時間と巧妙に対応させられています。
具体的には以下のような工程だったとされます。
- 優れた職人を密かに集める
- 誰にも知られないように工房を用意する
- 本物らしく見えるよう細部まで作り込む
- 完成後、蓬莱山に行ってきたという作り話を用意する
巧妙な航海譚
車持皇子は、ただ偽物を持ってくるだけではありませんでした。
海を漂い、嵐に遭い、ようやく蓬莱山に辿り着いて玉の枝を手に入れたという、説得力のある物語を語ったのです。
この作り話があまりにも巧みだったため、かぐや姫でさえ「我はこの皇子に負けぬべし」と思うほどだったとされています。
物語の構造:読者だけが知っている真実
二重の語りの構造
このエピソードの最大の特徴は、読者だけが最初から「偽物」だと知っているという構造です。
物語の冒頭で、車持皇子がこっそり職人に枝を作らせたことが明示されており、読者は真実を知った状態で物語を読み進めることになります。
一方で、翁やかぐや姫は車持皇子の詳しい航海譚を聞かされ、一度は本物だと信じてしまうんですよ。
虚構性とメタフィクション
研究者によれば、この構造は『竹取物語』の虚構性・メタフィクション性を際立たせているとされます。
車持皇子自身が一種の「物語作者」として機能し、その虚構が現実(登場人物の世界)にどこまで通用するかという実験のような章だという見方もあるんです。
- 読者の視点:嘘と知りながら聞く側
- かぐや姫の視点:嘘と知らずに聞かされる側
- 車持皇子の視点:嘘をつく物語作者
偽造の露見と求婚の失敗
工人たちの登場
かぐや姫の前で車持皇子が玉の枝を披露している最中、劇的な展開が訪れます。
代金を求めて工人たちが現れ、制作の経緯を暴露したのです。
どれだけ精巧に作られた偽物でも、どれだけ巧みに語られた物語でも、真実は必ず明らかになるという教訓を示す場面ですね。
かぐや姫の対応
真相が露見すると、かぐや姫は偽りの玉の枝を返却しました。
代わりに職人たちには褒美を与えたと解釈する読みもあります。
こうして車持皇子の求婚は完全に失敗に終わり、彼は面目を失って去っていくことになるのです。
他の求婚者との比較
石作皇子も偽物の宝を用意しようとして失敗していますが、車持皇子の場合はより計画的で大規模な偽造工作でした。
その「作り話」自体が物語構造上大きな意味を持ち、敗因は必ずしも話術の問題ではないとする論もあります。
むしろ、真実を追求せずに虚偽で取り繕おうとした姿勢そのものが問題だったと言えるでしょう。
物語に込められた深いメッセージ
虚栄と嘘への風刺
車持皇子のエピソードは、貴族社会の虚栄・ごまかし・権力志向への風刺として解釈されています。
平安時代の貴族たちは、実力よりも見栄や体裁を重んじる傾向がありました。
このエピソードは、そうした社会のあり方に対する批判的なメッセージを含んでいるんですね。
人間の弱さの寓話
「どれだけ精巧な嘘でも、長続きせず、結局何も得られない」という人間の弱さの寓話としても読むことができます。
車持皇子は、現実には存在しない宝に直面したとき、以下の二つの道がありました。
- 真実を求め続ける道(たとえ失敗しても誠実な道)
- 手っ取り早く偽物で取り繕う道(楽だが不誠実な道)
彼は後者を選び、結果として何も得られず、かえって信用を失ってしまったのです。
現代にも通じる教訓
このテーマは、千年以上前の物語でありながら、現代社会にも十分通じる教訓を含んでいます。
SNSでの見栄の張り合い、経歴詐称、偽装表示など、現代でも「偽物で取り繕う」例は後を絶ちません。
車持皇子の物語は、そうした行為の虚しさと危険性を、見事に描き出しているんですよ。
車持皇子のモデルは実在の人物?
藤原不比等説
5人の求婚者には実在した貴族がモデルだった可能性が高いとする見解があります。
車持皇子については、車持君氏の娘を母とする藤原不比等に比定する説が紹介されています。
藤原不比等は奈良時代初期の権力者で、様々な政治工作を行った人物として知られていますね。
あくまで仮説レベル
ただし、こうした比定はあくまで仮説レベルであり、学界の確定的通説ではありません。
物語が創作された時代や背景を考えると、特定の人物を風刺した可能性はありますが、断定することはできないのです。
むしろ、「車持皇子のような人物」は時代を問わず存在するという普遍性こそが、この物語の価値と言えるでしょう。
高畑勲監督『かぐや姫の物語』での描かれ方
ジブリ映画での再構成
スタジオジブリの映画『かぐや姫の物語』は、高畑勲監督による『竹取物語』のアニメ化作品です。
この映画では5人の求婚者のモチーフも踏襲していますが、名前をぼかしたり、エピソードを再構成したりしています。
原典そのままではなく、現代的な解釈を加えた作品になっているんですね。
原作の本質は継承
とはいえ、「実在しない宝を求められ、権力と虚栄のために無理難題やごまかしに走る貴公子」という基本線は維持されています。
映画では、求婚者たちの虚栄心や権力志向がより強調され、かぐや姫が自由を求める姿とのコントラストが際立つ構成になっています。
原作の車持皇子のキャラクター性は、映画の中でもしっかりと反映されているんですよ。
SNSやファンの間での反応
最も印象的なエピソードとして
SNSでは、5人の求婚者の中でも車持皇子のエピソードが最も印象的だという意見が多く見られます。
「偽物を作るという発想が大胆」「バレ方がドラマチック」といった声が上がっているんです。
また、「三年もかけて偽物を作るなら、本当に探しに行った方が早かったのでは」というユーモラスな指摘もありますね。
現代社会への教訓として
ファンの間では、このエピソードを現代社会への教訓として捉える見方も広がっています。
「SNSで盛った写真を載せるのと同じ」「履歴書詐称と変わらない」といった、現代的な文脈での解釈が見られます。
千年以上前の物語が、今なお新鮮な示唆を与え続けているということですね。
車持皇子への同情の声も
一方で、「不可能な課題を出されたのだから、偽物を作るしかなかった」と車持皇子に同情する声もあります。
「かぐや姫の方が意地悪」「最初から断ればよかったのに」という意見も見られるんですよ。
こうした多様な解釈が生まれること自体が、この物語の奥深さを物語っていると言えるでしょう。
まとめ:車持皇子の物語が示すもの
車持皇子は『竹取物語』で、かぐや姫に蓬莱の玉の枝を取ってくるよう命じられた求婚者です。
彼は真実を追求する代わりに、三年かけて職人に精巧な偽物を作らせ、巧みな作り話とともに献上しました。
しかし、代金を求める工人たちの登場によって偽造が露見し、求婚は失敗に終わります。
このエピソードは、虚栄や嘘に頼る人間の弱さを象徴的に描いており、平安時代の貴族社会への風刺としても解釈されています。
また、物語の二重構造(読者だけが真実を知っている)が、『竹取物語』の文学的な深みを生み出しているんですね。
「どれだけ精巧な偽物でも、真実には勝てない」というメッセージは、現代にも通じる普遍的な教訓と言えるでしょう。
古典文学の魅力を再発見しよう
車持皇子とかぐや姫の物語は、単なる昔話ではなく、人間の本質を鋭く描いた文学作品です。
もしまだ『竹取物語』を読んだことがない方は、ぜひ一度原文に触れてみてください。
現代語訳も多く出版されていますし、スタジオジブリの『かぐや姫の物語』を観るのもおすすめですよ。
千年以上前の物語が、今のあなたの人生にも新しい気づきを与えてくれるかもしれません。
真実を追求することの大切さ、見栄や虚栄の虚しさ、そして人間の弱さと向き合うこと――車持皇子の物語から学べることは、きっとたくさんあるはずです。
古典文学の世界に足を踏み入れて、その奥深い魅力を味わってみませんか?